遠い匂い

零×ジャック//挿絵 by Kisara Shimizu

 浅い眠りだった。だからすぐ目が覚めたのだ。人の気配でブッカーは慌ててデスクから頭を上げる。突っ伏して寝こけていたなど醜態もよいところだ。言い訳など許されまい。部屋の中は薄暗かった。入り口の辺りに人影。覚えがありすぎて間違えようもない。だから口を開いた途端、名を呼んでいた。
「零…。」
影の中から男が一歩踏み出す。
「なんだ、ジャック。まだ帰らないのか?」
まだ…と言われるくらい寝込んでいたとは思えない。精々数十分程度だろう。それくらいの感覚だ。少し微睡んで、周りの音は聞こえていて、入ってきた誰かに気づき目を覚すぐらいの、短いうたた寝としか思えない。ブッカーは狐に摘まれた顔で壁の時計を見た。
「11時すぎ…だと?」
慌てて振り返る。背後の窓から見えるのはハンガーだ。ブラインドの間から様子を確かめた。ガランとした空間に青白い常夜灯。人の姿はない。整備員も、交替で常駐するはずの警備すら見当たらない。本当にあと半時間強で日付の変わる時刻なのか…。ブッカーは甚だ得心のいかぬまま室内へ向き直る。
「寝呆けてるのか?」
零はいつのまにかデスクの脇まで来ていた。そして面白そうに笑う。鼻先からふっと息を抜く、あの笑い方だ。
「オレは…。」
いつからここに居て、いつ眠り込んだのか、脳みその中を探すが、それらの記憶ら全く見つからない。
「惚けるのは早いぞ、ジャック?」
いつもの声。柔らかく潜めたような声色がからかう風に言う。
「どうしちまったんだ…オレは…。」
軽く頭を振ると日向色の髪が、首筋を擽る。ブッカーは顎を撫で、おかしい…と首を捻る。
「疲れてるんだろ?」
静かな声がそう言った。
「それ程疲れちゃいないさ…。」
まだ戸惑いながらモソリと返す。
「もう、帰ろう…ジャック。」
真後ろに零の気配。
「そう…するか。」
振り返ると予想より遥かに近い顔が、彼を見ていた。
 押し付けてきたものが何かを、考えるまでもない。人の温度の柔らかさが、ブッカーの口を塞いでいる。ビクッと肩が跳ねた。まさかと思う。キスは珍しくもない。けれどこんな場所でするとは微塵も思わなかった。基地の中だ。ここに居る間はどれだけ親しく、砕けた振る舞いをしても、互いにそれ以上へと行かない常識を持っているつもりだった。でも零は違うのか?ブッカーは薄い温柔さがもっと深く重なろうとする中で、疑問符ばかりを頭に浮かべた。当たり前の強さで舌が入り込む。ブッカーは大いに戸惑ったままだ。肩を押し返すのは簡単だ。今、この場に於いて彼は上官で、躾のなっていない部下を突き放すのは当然の行為だ。上背も勝っている。筋力は少し負けるかもしれない。だが全く完敗と言うほど衰えていない自負はある。腕を、付きだすだけだとブッカーは肩に力を入れた。
 歯列をこじ開けて舌が侵入する。前方に伸びるはずだったブッカーの両腕が零の背へ廻る。全く予想外の動きだ。何が少佐へ変更を促したのか?それは口内へ入ってきた舌が、いつもと同じにブッカーの舌へ擦り寄った事に因る。強引に割り込んだくせに、拡げた舌が寄り添おうとする。謝罪のつもりか、甘えているのか。零は決まって舌を擦り付ける。この瞬間、ブッカーはその感触を懐かしいと感じた。ずっと待っていたものを手に入れた気持ち。もう離したくないと胸裡がざわめいた。すると腕は相手へ抗うのを忘れる。零の背へ廻った腕を、ブッカーは迷わず引き寄せていた。触れてくる舌を絡め取る。零が刹那息を飲んだ。愕いたに違いない。お構いなくブッカーは捉えた舌を根本から吸った。深く、長く、呼吸のぎりぎりまで、零が苦しげに喉を鳴らすまで、男はそれを離そうとしなかった。
 零が強引にキスを終わらせる。息が出来ないから仕方ない。唇が離れた途端、何度も深呼吸して不足した酸素を肺へ送る。すぐに呼吸は整う。頭一つ分上にある上官の顔を零は見上げた。
「誘ってるのか?ジャック…。」
「そうかも…しれん。」
零はまた鼻先で笑う。
「珍しい…。明日は雪だな?」
「オレも、そう…思う。」
離したくないと強く感じたのは、きっとそう言う事なのだろうとブッカーは思った。
「この部屋で…?」
挑発的な台詞を、でも零は淡々と吐き出す。
「ああ…。」
それでも消えない迷いを抱き、しかしブッカーはそれで良いと言った。



 側板に背を預ける零はこのデスクが頑強であった事に感謝する。尻を床に落とし、寄りかかったうえに、ガタイの良い男を跨らせているのにびくともしない。FAFの備品の中でも相当優秀だと思った。跨った相手の中へ指を入れている。拡げ、解し、ついでのように刺激を与える。前立腺の裏、筋に似た凝りを指の腹で押しながら何度も擦った。周りが細かく震えてギュッと締め付けてくる。
「ぅ…っ…く…っ…。」
彼の上に乗る上官が呻く。切羽詰まった感じだ。更にぐぃと一カ所を抉る。
「くっ…ぁ…っ…よせっ…。」
腹に向かい大きく反り返ったペニスの先端からトロリとした体液が溢れる。もう良いだろうと零は指を抜く。
「んっ…。」
腹の上でブッカーが短く声を漏らす。無造作に指を引いたから、どこかを強く擦ったのかもしれない。失せていく異物を周りの肉が引き戻す。優しげに包み込み、奥へ引き込もうとする。名残を惜しむようだ。もっと弄られたい…。そんな風に零の指を緩く締め付ける。でも零は誘いに乗らない。きつめの戒めを、早く自分の性器に受けたい。ブッカーの中がどれだけ居心地良いか、彼は誰より知っている。だからさっさと指を抜き取り、囁くようにこう言った。
「ジャック、腰を上げてくれ…。」
零の肩へ置く手に力が加わる。がっしりとした男の腰がゆっくりと持ち上がる。ブッカーは何も言わない。実は言えなかった。中を存分に弄られていたから、下手に声を出せば情けなく喘いでしまいそうだったのだ。
 股間で屹立する性器の上へ、腰に宛う零の腕が促す。先端がアナルへ当たる。固い丸みへ徐々に腰を降ろした。
「うっ…。」
窄まった入り口をこじ開けられる。本能が拒否を表す。閉じようとする鳥羽口。だが重力が落下を止めない。脇腹が引きつる。
「くそっ……。」
思わず洩れた悪態の欠片。何に向けたものか、垂れたブッカーにも判らない。零が決まり文句を口にする。
「力を抜け……。」
出来るものならとっくに抜いてる。腹の底で苛立ちながら吐き捨てる。でも肉体は苦痛を嫌う。排除したいと躯が竦んだ。
「ジャック…。」
呼びながら零が腰を突き上げた。
「く…ぅ…。」
亀頭がズルと飲み込まれる。しかしカリが引っ掛かる。狭さに張り出しが摺り付けられた。
「っ…ん…ぅ…。」
見た目よりずっと頑強な零の肩を、無骨な指が握りしめる。ここが一番辛いのは、どちらも承知していることだ。
「あと少しだ、ジャック…。」
痺れる内耳へ吹き込まれる囁き。聞き慣れた声より熱を孕む。怜悧さが薄れた零の声。この時にしか聞くことのない響きだ。
「息を止めるな…。」
必死で息を吐く。長く、細く。そして無闇に力んでいる下腹の強張りを努めて解いた。
 ズルリと腹の中へ陰茎が納まる。
「あぁ……。」
襞へ当たる硬さと長さに思わず声が上がった。苦痛と快感が同時にやってくる。狭窄が刺激に顫動を起こした。零がまた腰を入れる。根本までが埋まり込む数分間、知らぬまに零も呼吸を詰めていた。
「零……。」
ブッカーが凭れるように顔を寄せた。この後始まる激しさを予感しつつ、彼らは唇を合わせる。つかの間の穏やかさ。一カ所を繋げたまま、互いの唇を幾度も吸い合った。汗の匂いがする。そして滲んだ精液と潤滑油の甘い香り。それらが鼻先を掠めた時、ブッカーはまた懐かしさを憶えた。遠い記憶の中にあるような、胸の奥が痺れる懐かしさが湧き上がる。この感覚は何だ?ボンヤリとした疑問をブッカーは繰り返す。まるでずっと抱き合っていなかったみたいだ…。当たり前の如く、キスをしていたはずだろう…。懐かしいわけがない…。何故、懐かしいと感じる…?何故だ…。おかしい…。


 鈍いベルの音。大袈裟でなくブッカーは飛び起きた。ブラインドから薄く入る光。呆然と周囲を見回す。そこは自分の部屋だ。そして半端に起きあがったブッカーは、自分がベッドの上にいると知る。
「夢…だったのか…。」
敢えて口に出して言ったのは、夢であるのが当然だからだ。夢以外にはあり得ない。零が来るはずなどない。そんな事は自分が一番良く知っている。
「くそっ!」
握りしめた拳で枕を殴りつけた。やわりとした手応えのなさが、躯の内側で渦巻く数多の感情を更に煽った。それは焦燥とやり切れなさと、夢の中でSEXを貪りたがった自分の浅ましさへの怒りだ。
「Shit!!」
もう一度、さっきより激しく拳を埋める。けれど手応えは同じ。ふわりと拳が包み込まれるだけだった。
 零は確かに居る。でも今は居ない。肉体はあっても意識は別の何処かへ置き忘れられたままだ。妖精に魂を取られる、古い言い伝えが現実になったように、零は肉体だけを現実へ残しているのだ。覚醒の兆候は不確かで、時間だけが無為に流れている。
「戻ってくるのが…厭なのか…?」
答えのない問いが口の端から落ちた。埋めた拳を引き戻し、ゆっくりと手を開く。そこには、微かに夢の名残があった。触れた肌の感触。掴んだ肩の強さ。懐かしいと思うほど、それらは儚い。そして鼻先を掠めた匂いは、ひどく遠い彼方にある気がした。







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