off dyty

零×ジャック

 呆れるくらいゆっくりと昇るエレベータで地上へ出る。人間専用の昇降機を使えばもっと素早く到着する。でも零は格納庫から戦闘機を大気の中へ連れ出す方へ乗った。床板と同質の一枚板が上方へと移動する。ゴンゴンと低くうなる機械音と共に、深井零少尉は頭上に開く四角い眩さが徐々に近づいてくるのを見ていた。
 地表に迫り上がる。横幅のあるコンクリートの建物の中に出た。鈍い金属の接触音。それが到達の合図だ。残響が周りの壁にぶつかる。たった一人だと、そこは恐ろしく広い。普段は雪風のコックピットにいる。だから偶に単独でここへ立つと、殺風景な倉庫に入り込んだ錯覚を憶えた。建物の前は芝生だ。作り物のようなグリーンが開ける。零は軽い足取りで進む。植物の上を歩くと、靴底に頼りない柔らかさを感じた。
 顎を上げる。前髪がサラと流れ半端に昇った陽の光が目に飛び込む。それなりに眩しい。零は目を細める。空は昨日と同じ色だ。不可思議な緑の空。そこにひしゃげた二つの太陽が居座る。雲は薄い。その間を飛びかける黒い点が四つばかり。基地から発進した哨戒機だろう。方角からすると、少し前に見つかったジャムの基地へ行くのだ。本部の予見でそれは補給基地らしいと聞いた。前日まで影も形もなく、ある日急に現れた施設だった。零も一度哨戒機と共に偵察へ出た。砂漠に埋もれたような、幾つかの建造物があった。視認可能距離まで近づいても何故か攻撃はなく、肩すかしを食らった気分になったのは二日前のことだ。今日もあの基地の目的を調べに、偵察機が出たようだ。でも零はここにいる。今日は非番だからだ。突っ立ったまま空を見る。五分くらいの間、零は馬鹿のように顎を上へ向けていた。それからくるりと背を返し、さっき出てきた薄らデカイ建物へと戻る。歩き出すと、やはり靴底には頼りない柔らかさを感じた。


 唐突とした目覚め。ゆったりとした空間から現実へ放り出された感覚。ブッカーはぎょっとして目蓋を持ち上げた。窓の辺りが明るい。慌てて腕の時計を見る。時間はあと少しで九時になろうとしていた。
『嘘だろ?!』
頭の中で大声を出す。俯せから上体を勢いよく起こそうとした。
「っ…。」
腰から広がったのは怠さを伴う痛みだった。ドサリと跳ね上がり掛けた躯が落ちる。
「そうか…。」
呟きが洩れ、彼は現状を総て理解した。昨晩の行為が全部頭の中へ浮かぶ。…と言ってもハッキリしているのは最初の辺りだけだ。時間の経過とともに鮮明さが薄れ、自分がいつ眠り込んだのかはさっぱり憶えていない。
 昨夜はSEXをしたのだ。非番の前日だから、誰憚ることなくベッドへ雪崩れ込んだ。キスをして股間を押し付けあった。相手の手が器用に自分のペニスを扱き、ご丁寧にフェラチオで一度目を吐き出す羽目になった。その後、たっぷり使ったジェルで中を拡げられ、待ち焦がれた性器を押し込まれた。正常位で達った。性感帯を勢いのまま突き上げられ、同時にペニスを凄まじく掻かれ、堪える暇なく精液をぶちまけた。二度目は俯せで、後ろからだった。確か抜かずに二度ばかり中へ射精されたのだ。それから後がぼんやりしている。もう一度仰向けになった気がするが、もしかしたらその前に、俯せであと一度くらい突っ込まれていたのかもしれない。
 ハッとして隣を見る。ベッドのすぐ傍らは蛻の殻だった。そっと掌を滑らせる。シーツはひんやりしていた。居た筈の相手が抜けだしたのは、もうずっと前だと知れる。
「零……。」
もし隣のリビングにいるなら聞こえる程度に呼んでみる。寝起きを差し引いても掠れた音がお粗末に響いた。答えはない。バスルームでないのは明確だ。シャワーの盛大な音が聞こえない。起きあがるのは億劫なので、耳を峙て隣室の気配を探った。元から存在を誇示しないヤツだ。仮に隣のソファで寝入っていたら判らない。仕方なくブッカーは重い体を引き起こし、軋みを上げる両足を動かしてリビングに繋がるドアまで行った。ゆっくりと押し開ける。乱雑な部屋には誰もいない。窓から入る光の中に、埃の粒が踊っていた。
「帰っちまったのか…。」
無人の空間に呟きが洩れた。言ってから、自分の発言が間違っていたと気づく。零は帰ったのではない。出かけたのだ。行き先は格納庫。雪風の元へ。
 そうだと判った途端、起きる気持ちが全部失せる。微妙に肩を落とし、ブッカーはしわくちゃのシーツへ戻った。本当ならさっさと起きて、染みの残るそれを洗ってしまうべきだ。でもやる気は消えてしまった。
「どうせ非番だ…。」
ブランケットへ潜り込み独りごちる。腹が減って寝てなど居られなくなるまで、ここから出るものかと誓う。
「オレが何時まで寝てようが…オレの勝手だ…。」
言い聞かせるような台詞は随分と情けない。自分で言っておきながらブッカーは負け惜しみのようだと思う。それも又やり切れないと、即座に『負け惜しみ』という単語を否定する。勝ったとか負けたとか…、そんな馬鹿馬鹿しい話があるか…と腹の底で苦く言う。パイロットが愛機の様子を見に行くのは、当たり前の事だと言い訳の如く自分を諌めた。
 今でもありありと思い描けるシーンがある。
ハンガーの壁際、ある日一人の青年が立っていた。ひょろりとしたシルエットの、黒髪の東洋人は壁に凭れ整然と並ぶ機体を眺めていたのだ。新しく配属された人間はいない。他の部隊のヤツだろうかと思った。その男は気が付くと其処にいて、思いだしてその方を見ると居なくなっていたり、一時間以上突っ立っていた事もある。時間帯はまちまち。ただ機体を見ているのだ。一度だけ声をかけた。何をしているのか?と…。
『あれを見てる…。』
返ってきたのはそれだけだった。あれ…と言う時、顎をしゃくって示していた。やはり居並ぶ戦闘機を見ていたのだった。乗りたいのか、ただ好きなのか。細かいことは何も言わず、青年は暫くの間やってきては壁際に佇んでいた。それが深井零だと知るのは、彼がブッカーの下へ配属されてきた時だ。あの頃から零は美しい機体に魅せられていたのだろう。だったら今も時間があれば其処へ行くに決まっている。
「それだけの事じゃないか…。」
モソリと言葉を落とす。そしてブッカーは目蓋を降ろした。肉体はまだ眠りたがっていたらしい。彼は五分もしないうちに、二度目の睡眠を享受していた。


 ブランケットごと肩を掴まれ大きく揺さぶられた。
「ジャック。」
分厚い布越しに声が聞こえる。脳みそはまだ眠りの方へ行きたがって、それを煩わしい雑音だと判断した。
「おい、ジャック。」
声が少し大きくなる。掴んだ腕の動きも激しくなった。ブッカーは少しだけ現実へ近寄る。
「ん……?」
くぐもった音は疑問を意味する。
「もう、十時過ぎだ。好い加減起きろ…。」
つまらなそうな言い回しだ。
「零……?」
頭から被ったブランケットを片手で払う。半端に開いた両眼に、ブラインドの隙間から差し込む光が直撃する。眩しいと手を翳す。
「朝飯を買ってきた。さっさと起きて喰おう。」
「朝飯…?」
俯せの頭をわずかに動かす。ベッドサイドに見慣れたシルエットがあった。
「どうせ何もないだろ?」
だから適当に到達してきたと零は言う。
「おまえ、朝飯を買いにいってたのか?」
やっと現実へ戻ったブッカーが、人並みな質問を垂れた。
「さっき一度外へ出てきた。上は今日も晴れていた。」
質問とは無関係な答えが返る。
「ああ…。」
ブッカーの反応もぼやけていた。
「まだ寝てるつもりか?」
ひょいと腰を屈め、零は薄ぼんやりした男の顔を覗き込む。
「いや…、もう起きる…。」
二三度瞬きしたブッカーの目に、馬鹿でかい紙袋を二つも抱えた姿が映る。
「おまえ、一体なにを買い込んできた?」
「色々…。適当に…。」
「朝飯だよな?」
「そうだ…。」
「オレはてっきりパーティでも開くのかと思ったぞ?」
「あんたが開きたいなら開けばいい。」
そんな勢いはない…とブッカーは呟く。
「起きないのか?」
また同じ問いだ。でも零は焦れていないし苛立ってもいない。淡々と訊ねるだけだ。
 腹を括りブッカーはのっそりと起きあがる。さっきより腰の怠さはマシになっていた。相手が起きる意思があると判じ、零は部屋を出ていこうする。
「あっちで喰うだろ?」
リビングへ向かい、振り向かず確認した。
「そう…だな。」
「その前に顔を洗え、ジャック。少しは頭もすっきりする。」
また『ああ…』と腑抜けた音を漏らし、ブッカーはのろのろとベッドを離れた。リビングとは反対側にあるバスルームのドアへ向かう。
やはり歩き出すと躯のあちこちが軋みだした。
「ジャック、シャワーだ。」
背後からの声に振り返る。開けっ放しのドアの先で、零が荷物をテーブルへ乗せるのが見えた。こちらを見もしないで零は続ける。
「熱いのがいい。少しはまともに歩けるようになる。」
自分を見ていないヤツが、どうしてこの状態が判るのか?
「どうしてシャワーなんだ?」
当然ブッカーは聞き返す。
「足…引きずっているだろ?音で判る。」
紙袋から次々と食い物を取りだしながら、零は短く言った。
「なるほど…な。」
「他のヤツは判らない。でもあんたの足音なら判る。」
しょっちゅう聞いているからだ。零は当然の顔でそう言い切った。
「そうかも…な。」
相変わらず緩慢な動作でバスルームのドアを開けるブッカーは、自分がどれだけだらしのないツラになっているか気づいていない。頬に残る傷跡の所為で、必要以上の強面に見える顔を、ブッカーは何とも言えない風に緩めていた。ドアを開けた途端、鏡に映る自分のツラを見て呆れかえるはずだ。零にしてみれば、大した意味ではないだろう一言で、自分がこんな間抜けな笑いを張り付けているのかと…。
 寝室の奥、バスルームのドアが開く音が聞こえた。直後、零はブッカーのおかしな笑い声を耳にする。空気の漏れたような、情けない声だ。何事だ?と思う。変なヤツだと思った。戻ってきたら、どうしたと聞いてやるつもりになる。けれどブッカーは答えないだろう。零が珍しく食い下がったとしても、男は絶対はぐらかすに違いなかった。







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