シグナル
全蔵×銀時
閉め殺しの窓は断じて景色など見えないくらいの曇り硝子が嵌っていて、更に趣味の悪い紅色のカーテンが引かれている。但し、それはどれだけの年を経ているのか判じられないほども、陽に焼け色が抜け更に生地じたいも恐ろしく薄くなって、本当はもっと別の色味だったのかもしれない代物だった。
部屋の中は暖房でひどく暑い。素っ裸でもジワリと汗が滲む。そんな室内で行為を続けているから、額へ浮いた汗が長く伸ばした前髪を貼り付かせる。手の甲で拭えば良いのだが、生憎両手は塞がっていた。仰向ける男の両足を大きくMの字に開かせているからだ。仕方なしに全蔵は頭を軽く振るう。大して効果はない。でも髪の貼り付く不快さは、少しだけマシになっていた。
腰を入れる時、僅かに角度を変える。切っ先が器官の上側を擦って進んだ。潔く、迷いなく、最奥へ届くよう勢いは殺さない。腹の中が仰天し、無遠慮な竿をギュウと締め付けた。こめかみから顎の線を伝い、汗が滴り落ちる。それは丁度、仰臥する銀時の陰毛の辺りへ吸い込まれるように消えた。目線で、一滴の軌跡を追っていた全蔵から、薄い幽かな笑いが洩れた。何が可笑しかったのか、自身でも良く分からない。滴りが、既にずいぶんと精液で濡れている、銀色の陰毛へ落ちたのが、何となく笑えたのだ。間抜けな様に思えたからかもしれない。
奥へ届いた先端を、もっと深くへ衝き入れる。角度は同じままだ。抉るような感触が伝わる。だらしなく上を向いた男が、一度ビクリと反応し、続けて『うーー』と唸り声を上げた。痛いわけでもない。辛いはずもない。ひどく感じ入ったから、洩れてしまった音だ。
「出そう…だろ?」
笑うように訊く。
「別……に…?」
踏ん張った所為で妙な間を置き、それでも全く効いていないと銀時は宣う。
「これ…でもかよ?」
もう一度、同じ辺りへ丸い硬さを押し付けた。
「ん…っ…。」
顎を上げ、歯を食いしばり、しかし鼻先から濡れた音を垂れ流して、往生際の悪い男は射精感をやり過ごそうとする。
「好い加減、諦めろって…。」
深みからズルリと陰茎を手繰りながら、全蔵はやはり面白そうに言った。
いったん抜ける手前まで引いたペニスを、再び押し込もうとした時だ。窓の外から警報機の音が聞こえる。ここが線路の脇、踏切から間近のホテルだと、判っているが一瞬軽い驚きを覚える。同じ感覚で鳴り続けるシグナル音。けれどそれが徐々に早まる錯覚が生まれた。急かされている気分になる。もっとピッチを上げろと、後から追い立てられている心持ちになるのだ。音の間隔に急き立てられ、全蔵は慌てた風に竿を入れる。奥まで届くと、すぐに引き、律動は不思議なくらい早まっていった。
「おっ…う…クソ…っ…。」
銀時が詰まった音を発する。短い呼吸の合間に、幾度もヤバイと重ねる。警報は直ぐに鳴りやみ、けれども今度は逆側の車両が通過するらしく、いっときの沈黙を挟んで、再度けたたましく鳴り出した。
危険を知らせる音は、全蔵の腰の動きを速めただけでなく、別の何かも急かしてくる。何時も、この男とSEXをする時、腹の底に押し込めた台詞がモソリと存在を表す。
『なんで俺なんだ…。』
銀時と懇意になればなるほど、それは頻繁に湧き上がってきた。この男は他人の中にあって、その内側に沈み込まない。何処に在っても、誰と居ても、他人の視線を集めるタイプだ。それは持って生まれた質のようなもので、全蔵は逆に群れの中に潜む質だと言える。生業の所為ばかりではなく、殊更に気配を消さずとも、他人の影と同化する。もしかしたら、無意識にそう在ろうとしているのかもしれない。真逆な質だと思う。行く道もたぶん違う。共通点と言えば、ジャンプを読み続けることくらいだ。ならば、何故顔を合わせるとSEXを口にするのか。相手など幾らも居るだろう。金があれば、相応の額を支払い女を抱けば良い。納得がいかない。だから気になる。そして思う。
『なんで俺なんだ…。』
…と。
遙かからゴウと低い列車の音。地響きのように近づいてくる。そこへ警報音が絡まる。全蔵はもっと動きを速めた。押し込んで引き抜く。同じ動作の繰り返し。でも様々に技巧を入れる。銀時が唸りの中に喘ぎを混ぜた。『イイ…。』とか『そこっ…。』とか、堪らないと背を撓らせ、『出る…。』とか『達くっ…。』とか切迫感を単語にする。身の内もそれらに呼応し、全蔵の竿をギチギチと締め上げ、離すまいと絡みつく。柔らかな温度が細かに震えて、強請るように硬さを包む。シグナルが騒ぐ。もっと早く。もっと激しく。そして同時に早く言え、言っちまえと、全蔵の背をグイグイ押した。
両手で銀時の腰を掴む。竿は相当に奥まった処へ入れ込んでいる。そのまま、掴んだ腰を揺すった。容赦なく、加減も忘れて、硬く絞まったそれを、存分に揺さぶった。
「おぉぉ!ヤベーって!それっ…。」
喧しい男が、緊迫感を声音にする。
「あっ…そこっ…すっげ…。」
警報より騒がしい声が、部屋の中に響く。
「くっ…。」
声を詰まらせた途端、全蔵の眼下で銀時の雄がブワリと膨れた。出したがっているのが丸判りだ。両手が腰を離す。全蔵は、腹の内のうねりに飲まれつつ、仰向ける身体へ覆い被さった。胸と胸、腹と腹が密着する。腕は両方とも相手へ絡みつく。顔が近い。耳に銀時の吐き出す息がかかった。濡れて熱い感触。そこに混じる喘ぎや呻き。それらとシグナルが、全蔵を煽った。もう終わりにしろ…と。そして知りたいなら口に出せ…と。
これで終いだと、陰茎の質量を満遍なく性感へ擦りつけ、追い打つ風に腰を入れる。少しグラインドさせ、攻め上げる感覚で腹の内側を掻き回した。
「うぉ…っ…おっ…出る…。」
腹に触れる銀時の性器が身悶えるかに震えた。開かせた両足の膝が、面白いようにガクガクと揺れる。間近の口元から音にもならない呻りが洩れる。低く、吸い込んだ息を堪えるような間合い。膨れた竿が硬直し、瞬く間に何かを吐き出す。粘りけのある水の感触。同時に起きる体内のうねり。器官全部が全蔵を取り込んで絞り上げる。柔らかさが、大きく波打ってギリギリで堪える男のペニスを締め付けた。出る…と思った。毛穴から一斉に汗が噴き出る。すぐそこにある快感の極みへ手が届く。腰が小刻みな律動を始め、絞られる雄が呼吸のような脈動した。
知らず銀時へ絡ませる腕へ力が入る。するとそれまでずっとシーツを掴みしめていた銀時の両手が、全蔵の背へ廻りきつく抱き締めてきた。多分、一度で絞りきれなかった残滓を、出し切ってしまいたかったのだろう。腹に挟んだ自分の竿を、より強く扱かれたかったからの行為だ。そんな事は知っている。腕に込めた力の意味も、何故強く抱き合おうとするのかも…。
「うっ…。」
温柔さの中で、自分のペニスが喘ぎ、先端の口が開いて、勢い良く体液が吐出した。腰から背へゾッとする程の快感が広がった。
「ぁ…あ…。」
開放感と愉悦に全蔵は低く漏らす。四肢へ満ちてくる達成感と充足感。薄く開いた口の隙間から長い息が流れ出る。
「なんで……俺なん…だ。」
それは細く吐き出した呼吸に混じった。きっと急かされすぎて、仕舞い忘れたしまったから、吐息と一緒に外へと流れたのだ。無自覚な呟きだ。彼自身、数秒の間、言った事を理解していなかった。
「それ、逆じゃね?」
間近から銀時の声音。全部を絞り出した後の、気の抜けた問い。
「なにが?」
自覚のなさが、更に間抜けな問いを生んだ。その時、全蔵は心底相手の言った意味が飲み込めていなかった。
「だから〜、そーゆーのは掘られてる方が言うもんじゃねぇの?」
音にしなかったそれが、実は確かな形を得て、しっかりと相手へ届いていたのだと合点がいく。誤魔化すか、知らぬまま流すか、惚けるるか、次の数秒で全蔵は迷う。
「好き…だから。」
迷いを遮ったのは、銀時のそれだった。妙に真摯な声で、まして囁く風に低く、銀時は一言いったまま口を噤む。
「ばっ…。」
莫迦じゃねぇのか!と言いかけた全蔵を、銀時が又しても遮った。
「…とか言ったら、どーすんよ?」
「はぁ?」
「ウケるべ?」
「ウケねぇよ。」
「あら、そーなの?」
「気色悪ぃだろーが!」
「まぁ、アレだ。オメー面白ぇから顔見ると誘っちまうって感じ?」
「誘うっつーか、大概無理矢理だけどな?」
「無理矢理とか失敬なこと言うなぁぁぁぁ!」
「五月蠅ぇって、耳の傍で声、張り上げんな!」
全蔵が軽く銀時の頭を叩く。空気の抜けた銀時の笑いが聞こえ、つられ全蔵も腑抜けた風に笑った。竿を入れたまま、胸と胸、腹と腹をくっつけあったまま、ひどく馬鹿馬鹿しい有様で、男らは二人、少しの間フニャリとした笑いを垂れ続けた。
部屋の中は妙な静けさが蔓延っている。竿を抜き、ゴロリと仰向ける全蔵は、あれだけ鳴っていたシグナルが、ピタリと止んでいるのに漸く気づく。行為の間、ずっと自分を急かせていた、等間隔の警報が無くなったのを不思議に思う。
「なんか、鳴らなぇな?」
ポツリとこぼせば、隣から『なにが?』と返った。
「踏切のアレ。」
すると、ボヤリとした声が終電が行ったからだろうと答える。成る程と思っていると、銀時が帰りは歩きか…と怠そうに言った。
「歩いても大した距離じゃねぇだろ?」
「そりゃ、掘ったヤツの言い分だっつーの!今日は銀さんエロ忍者にヤラれてグッタリなの。」
「誘ったのテメェだろーが?」
まぁ、そうだ…と薄く嗤う銀時が、泊まっていくか?と持ちかける。
「もう一回ヤってもイイってことか?」
「えええ?!次はオレが上ってことじゃね?順番ならそーだろーが!」
「順番とか決めてねぇし。」
汚ぇ!とか狡ぃ!とか、一頻り騒ぎ発てる銀時。全蔵は天上を見上げたまま、それへ五月蠅ぇな…と同じ台詞を繰り返した。
腹の底に燻っていたあの一つづりを吐き出してみて、判ったことがある。返る何かを期待していたのではなく、まして欲しい台詞があったワケでもない。銀時が、なんの理由で自分を誘うのかを、どうしても知りたかったのでは無いことが、言ってみてハッキリ判った。理由など、はなから存在していない。それは最初から薄々察していたことだ。口に出してみたかったのだ。何故…と形にして、外へ吐き出したかっただけに違いない。だから今はスッキリしている。もしも再び、あのシグナルが鳴り響いても、もう背後から何かに煽られている気分にはならないだろう。口にするのを憚ったのは、きっと気恥ずかしかったからだ。相手に何かを期待していると、思われたくなかった所為だろう。隣に寝転がる、怠惰を形にしたような男は、誰もが口にしたがる、甘ったるい感情の持ち合わせがない類の人間で、それは自分と同質なのだと、初めの頃から理解していて、そこが嫌いではないのだと、全蔵自身ずいぶん前から気づいていた。重々承知していたそれらを、形にしてもう一度確認したかっただけなのだと、すっかり静まりかえった部屋の天上を見上げひっそりと考えた。
真横で銀時がもぞりと動く。こちらへ顔を向けたのだと、全蔵は視界の端で確かめた。
「で、どーすんよ?泊まりにすっか?」
「なんか眠くなってきちまった…。」
「寝てっとこヤってもイイっつー話?あ、それってエロいな?どーよ?」
「どーよ?…て訊かれてもなぁ。」
「訊かれても…なに?」
「寝てる間にヤレるもんなら、ヤってみろってことだ。」
「あ、イイわけ?イイんだな?」
ヨッシャ!と飛び起き、銀時は壁にかかる内線で、泊まりを告げる。言い終わった途端、クルリと背を返し、恐ろしく愉しそうな表情を張り付けた男が、この上もなく愉快そうに言った。
「さっさと寝ろ!2秒で寝ちまえ!」
警報の消えた静謐ばかりの部屋に、それは泣けるほど大きく、噴き出すくらい間抜けな音で響いた。
了