振り向くな
銀時×全蔵
適当に入った待合いは、嘘のように空いていた。平日の半端な時刻。宵に差し掛かったばかりの時間。外は寒々とした風が吹いているが、順当な手順でこうした場所へしけ込む連中は、まだ気の利いた飲み屋や暗くなり始めた公園で、愛だの恋だのを囁き合っているいるのだろう。キスの一つもしていないかもしれない。もっと夜が街の全部を飲み込んで、秘密めいた空気が蔓延って、手を繋ぐだけでは足りなくなり、抱き合わなければいけない気分にならなければ、こんな処へはやって来ないのだ。
通された部屋は、そんな薄ら寂しさを更に助長する二間続きの一室で、お粗末な卓の上に乗る湯飲みの柄が、すっかり使い込まれ薄くところどころ剥げているのすら、似合いすぎだと思える按配だった。室温は低くない。空調は効いている。が、視覚で捉えた全部が温さに繋がらず、全蔵は馴染んだコートを脱がずにいた。銀時は何処にいても変わらない。ズカズカと部屋を抜け、続き間の唐紙を無造作に開ける。一つだけ灯る小さな電灯にぼんやり浮かぶ並べて敷かれた二組の布団。チッと不満げな音が聞こえ、座り込み茶を煎れたものかと、どうでも良いことを思案していた全蔵が顔を向けた。
「なに?」
「すっげ地味。」
肩越しに振り返る銀時は、やる気の欠片もない普段通りの顔を苦笑の形に緩めていた。
「なにが?」
「掛け布団の柄がよ、すっげ普通なの。」
「で?」
「自分ちでヤルみてぇな気がしてよ。」
「だから?」
「なんか落ち着かねぇかなぁ〜ってさ。」
どれどれと四つんばいで進み、細く開いた隙間から覗く。確かに何処かで見たような、珍しくもない、落ち着いた柄が全蔵の目に飛び込んだ。
「イイんじゃねぇの?おまえ…すぐ柄とか、どっちでも良くなんだから。」
モソリと言ってやる。
「ま、そー言っちゃぁ、そうなんだけどよ。」
けど、自分はナイーブだからと、聞き飽きた戯れ言をこぼしながら銀時は唐紙から離れ、卓へむかい腰を降ろす。ポットから薄く色が付いただけの、茶なのか白湯なのか判別しかねる代物を湯飲みへ注ぎ、美味いのか不味いのか、これも判じがたい淀んだツラで、ずるずると啜り始めた。小皿に乗せた茶請けを手に取る。表面が半ば乾いた饅頭を口へ放り込み、美味くないと文句を垂れるナイーブな男は、この時点で布団の柄などどうでも良くなっているらしく、残る一つの菓子をジッと見つめ、こっちも食って良いか?と、しごく真剣な顔で全蔵に訊いた。
例えば、熱い抱擁をかわすとか、狂おしく唇を重ねるとか、情交の前にはそれなりの前フリがある。この男らにも、そうしたステップがあるとするなら、それは言い争いだったり、更にエスカレートするとつかみ合いのスキンシップだったりする。傍から見たら、これの何処が…と首を傾げるかもしれない。が、当人達には外せない前戯的プロセスに違いなかった。
この日も軽いやり合いがあった。どちらが上か下かという珍しくもないやり取りだ。先攻は全蔵で、饅頭をくれてやったのだから自分が上だと主張した。勿論、大人しく従う銀時ではない。待ってましたとばかりに言い返す。セコイとか、狡いとか、小学生並の異論をぶちまける。そして瞬く間にとっくみあいになった。体格では幾分銀時が勝る。が、相手にも体術の心得があるからすぐに勝負がつかない。途中からは互いに真剣味を帯び、少なくともこれから性交に臨むとは思えない有様になる。結局、強引に押さえ込んだのは銀時だった。けれど同時に全蔵が馬鹿らしくなっていたから、何とか治まりがついたというのが、実のところだ。
「あー、もう上んなりゃーイイだろ!」
仰向けに転がした男へ全体重をかけてのし掛かった男がしごく満悦な顔をした。
「じゃ、オレが上っつーことで。」
ニヤリと不敵な笑いを張り付け、銀時が半端に乱れた全蔵の衣服を剥ぎ取る。それが今夜の事の始まりだった。
「もう…そこ弄んな…。」
どうにも閉じきれなくなった口から、濡れた微音と一緒に全蔵がそう吐き出す。胸にしゃぶりついている銀時が顔を上げた。
「どこよ?」
始まりから妙に執着している乳首なのか、それともすっかり緩んだのに全く抜こうとしない腹の内の指なのか。『そこ』では分からないと銀時は受け流す。
「どっちもだよ!」
声が高まったのは切迫感の所為だ。特に腹の中。銀時はいやらしいくらいに、性感を探ってはそこを弄り廻している。意地悪く口の端を引き上げつつ、前立腺の裏をグリグリと指の腹で押す、或いは指先で突いては不意にズリと擦る。これは堪らない。肉体は敏感に反応を示す。触られてもいない、股間の竿が、律儀なくらいに頭を擡げ、今はタラタラと精液を滴らせている。止めたくとも、理性やら意志ではどうにもならない。だから止めろと言った。好い加減にしろとも重ねる。
「やだ。」
心底嬉しそうな声だった。仰ぎ見る視界に映るツラは、その声音以上にほくそ笑んでいる。
「…んのヤローッ!」
腰の裏から広がる怠さが形になりつつあった。一点へ集まる血流と相まって、堰き止めきれない欲の塊が性器を膨れあがらせる。己では制御が効かない。ならば止めさせるしか手はなかった。右足を跳ね上げる。狙いを定める余裕はない。が、この近さなら確実に腹の辺りを蹴り飛ばせる筈だった。
が、平素のキレがなかったらしく、蹴り出した足を全蔵は呆気なく掴まれる。
「なに?これ?」
がっちりと掴んだ足をわざわざ拡げるように持ち上げ、銀時はこの上もないくらい愉しそうに訊く。
「オメー我慢利かねぇヤツだなぁ。銀さんのチンコ待ちきれないなら、そー言いなさいよ。」
「莫迦…か、ちげーよ…。」
けれど目的は半ば成功した。銀時があっさりと指を抜いたのだ。でも代わりにイチモツが侵入する。両手で足を大きくM字に開かせたと思う間もなく、しっかりと固くなった竿が、遠慮の欠片もなく後口から入り込んできた。余りの素早さに準備など出来ない。腹の中が仰天で大きくうねる。突っ込まれた塊の質量と熱さに低く唸るしか、全蔵には為す術がなかった。
無粋なまでな強引さで陰茎が柔らかさを擦る。銀時の動きに大した技巧はない。押し込み、周囲へ硬さを擦り付け、奥を抉っては衝いて、鳥羽口へと戻る。たったそれだけの繰り返しだ。肉体が刺激を拾うから、快感が生まれる。単純で分かり易い。だからほぼ同じタイミングで絶頂へ手が届く。それは約束事のようなものだ。普段なら、その約束は違われない筈だった。
「んっ……っ…。」
自分の鼻先から漏れた音の甘ったるさにギョッとした途端、立てた両足の膝が笑い出した。頭の中に浮かんだのは『拙い』という言葉。咄嗟に細切れの呼吸を整えようと試す。出来るだけ長めに息を吸い、細くゆっくりと吐き出そうと努めた。
「うっ…ぅ…っ…。」
不自然な深呼吸の意味に気づいたのか、気づかないのか、銀時が亀頭の丸みを同じ辺りへ押し付ける。
「ちょっ…そこ…っ…。」
腹の中が細かく震えながら、急激に収縮するのを感じ、全蔵が思わず言ったそれを銀時は拾い上げた。
「なに?そこ…って何処よ?」
さっぱり分からない素振り。しかし『そこ』へ的確にカリの張り出しを擦り付ける。存分に勃起した性器の突端で、小さな口が喘ぐかに開くのが分かる。大きな波に似た予兆が、すぐそこまで来ているのだと全蔵は確信した。
「くそっ…。」
忌々しげに吐き出した声音は、笑えるほども語尾が震えた。全蔵は情けないそれを耳管で捉え、本気で『拙い』と思った。
指で散々弄り廻されたからだ。身の内が異様な過敏さで竿の動きを拾う。しかも銀時は、今日に限ってやたらと性感を探り当てる。そして執拗に一カ所を狙う。
「おっ…ぅ…。」
腰が一瞬跳ね上がった。腹の上へ体温より熱いねばりが飛び散る。
「え?ヤバイ?」
間の抜けた声が訊く。続けて『早くね?』と間延びした問い。応える余裕はない。無意識に布団に投げていた腕が上がる。股間の竿を自分で扱こうとした。
「ちょっ、待てって。早すぎでしょーが?」
手首をムズと掴まれる感触。シーツへ押し戻される右腕。
「止めっ…テメっ…。」
振り解こうと身体を捻る。それが拙かったと全蔵が気づくのは、この直後のことだった。離すまいとする銀時が若干前へ屈み腕を押さえつける。腹の内側で角度と強さが微妙に変わった。
「う…ぁ…っ…。」
硬さと丸みと弾力が、その一点を抉るように刺激する。背が反り返る風に持ち上がり、腰の辺りから痙攣に似た震えが広がっていく。
「く…っ…ぅ…。」
「わっ!早ぇって!!」
ガチガチになっていた屹立が、大きく身悶えるように膨れ、先端から大袈裟なくらい精液を噴き出し、見る見る萎えていったのは瞬く間の事だった。
強張った肉体が弛緩する。腹の辺りが粘っこい体液で濡れ素ぼり気色悪いことこの上もない。薄く開いた唇の隙間から、長く息が洩れる。吐き出した所為でやってきた倦怠感が全身へ行き渡る。ジンと痺れた内耳に、ぼやけた銀時の声が染みこむ。
「マジかよ…。ケツだけで達くとか、ねぇだろ…。」
「…っせぇ。」
それだけをボソリと放つ。後は無言でティッシュへ手を伸ばし、ムクリと起きあがって淡々と自分の吐き出したモノを拭った。粗方をふき取るまで、すぐ傍らから矢継ぎ早に繰り出される銀時のもんくを聞いていた。あり得ないとか、我慢がないとか、オレは未だ一滴も出してないとか。散々言い放ち、最後にだらしのない溜息が落ちた。
どちらも口を閉ざしていたのは二分か三分の間だった。
「なぁ…。」
黙ったままそっぽを向く相手に、銀時は言いたい放題をぶちまけた所為か、気味悪いくらい上機嫌の声音で、予想通りの台詞を投げる。
「仕切り直して、もっかいヤローぜ?」
全蔵は何も返さない。しわくちゃのシーツにペタリと腰を降ろしたまま、何かを思案している風に見えた。
下着でも肌着でもなく、素っ裸に足袋を履こうとしたのは、それが手近にあったからだ。身につけるものなら何でも良かった。此処からすぐにでも出ていく意思を形にしたかっただけの話だ。
「よぉ、怒った?」
後ろから抑揚のない言い様で銀時が訊ねる。
「別に…。」
振り向きもせず、手にした足袋へ視線を落とし、黙々と手を動かす全蔵の口調は、確かに怒りもしていないし、声を荒げてもいない。
「怒ってねぇならヤローぜ?」
駄菓子を強請るガキのような言い回しで、銀時は懲りもせず同じことを口にする。無視していると銀髪の男が服部…と呼ぶ。
「…んだよ。」
「次はオメーが上でいいから…。」
これだけ空いているなら延長も出来るし…。
全蔵はいらえの代わりに小さく舌打ちをした。済まないとか、悪いとか、爪の先ほども思っていないクセに、怒ったかと訊き、済まなそうに次を譲ってくる。銀時のこうした振る舞いや台詞が聞きたくなかったから、さっさと身支度を終わらせたかったのだ。
目的は快楽で、それ以上も以下もないと分かっていて、勿論全蔵もそれ以外を望んでいないにも関わらず、こんな風に引き留められるのは悪くないと思ってしまう、自分の甘さに腹が立つ。だから背後でだらしなく寝ころぶ男が、それらを投げてくるより早く、入り口から出ていこうとしていた。
「なぁ、服部〜。」
甘えに似せた声音が強請る。足袋を履き終え、下帯へ手を伸べながら、全蔵は何処へも届かないほどひっそりと呟きを落とした。
「もう…最悪だ。」
言った途端、自嘲が鳩尾の辺りでぶわりと膨れた。全蔵は急いた風に下帯を手に取る。途切れなく背へぶつかってくる誘い文句を、聞こえないフリでやり過ごし、全蔵は自分の情けなさへまた一つ舌打ちをくれてやった。
了