月の輝かない夜に
全蔵×銀時
その夜は妙に薄暗かった。陽が落ちて、大通りをブラついている時は流石に気にならず、それは加減を忘れた電飾の煌びやかさが、普段と変わらず瞬いていたからだ。ところが一本裏通りへ入ると、もちろん等間隔で並ぶ外灯はしっかり点っているにも拘わらず、仕舞た屋が軒を連ねる道の全部が、首を傾げるくらい暗く沈んで見えた。
実際、銀時は首をくぃと傾げ、ご丁寧に口から間延びした独り言を垂れる。
「なーんか、うすっくらいのは気のせいだったりすんのか?」
周囲に人影はない。当然気配もない。だからそれに戻る答えもなかった。
「あーメンドーくせぇ〜。」
続いたのは現在の心境だ。口に出すくらいだから相当に面倒だと感じているのだろうが、発したそれは最前のものと同様に覇気のないダラリとした音でしかなかった。薄暗いのと面倒には然したる関連はない。単にわざわざ大回りして行かねばならないのが面倒なのであって、通りが明るかろうが暗かろうが、それは重要でもなんでもなかった。自分の目的を入手したにも拘わらず、出がけに神楽がアイスが食べたいなどとほざいて、更に銘柄まで指定されてしまったお陰で、一軒で終わるはずの用向きが、店をハシゴするハメになったのだ。つまり一軒目には指定された銘柄がなく、若干迂回して戻る間のコンビニへ寄ることにしてしまった。そう決めたの自分なのだから、仕方ないと言えばそうなのだが、事の起こりは『スイカバージャンボ』でなければ駄目だと駄々をこねた小娘だと考えた途端、件の台詞がこぼれ落ちたというわけだ。
原付で出れば造作もないことだった。が、跨って覗き込んだ燃料系の針が、果てしなく空に近かった。歩いても行ける距離だ。徒歩なら燃料は要らない。それが結論で、因って銀時はノソノソと歩を運びつつ、ブチブチと誰も聞くはずのない愚痴を垂れながら、住宅の間を抜けていた。少し前から道の両側に白土塀が続く。この辺りは仕舞た屋とそこそこの屋敷が混在している。白色の塀が続くそこだけは、地べたも若干明るんで見えた。外灯を白さが弾いているからだろう。白壁の終わる辺り、目線の先の方はまた暗がりだ。時刻にしたら、そろそろ十時になる頃だろう。大通りから大して離れていないのに、行き交う人は誰もいない。やる気のない、間の抜けた銀時の足音だけが、さっきから延々鳴り続けていた。
右手の白さが一時途切れる。棟門が塀の明るさを奪う其処だけが、ぽっかりと穴でも開いた風に薄闇を作る。丁度、しっかり閉じた門扉の前に差し掛かった時、銀時の足がピタリと止まった。
「なんか臭くね?」
言いながら辺りを伺う。路上を、目の高さの周囲を、そして何もない虚空へと視軸を上げた。異臭はたいそう微かなもので、しかし徐々に歴とした輪郭を得てくる。つまり銀時の居る処へ近づいてくるようだった。距離が詰まる。臭気の正体が確かになる。以前は銀時のすぐ間近にあり、彼を包む大気に溢れていた匂いだ。
「やっぱ臭ぇな。」
口に出した。確認する為だったのかもしれない。短い一つづりを言い終わるのと同時に、墨を流し込んだ夜空の一カ所が揺らいだ気がした。そして一気に強まる異臭。顔を僅かに歪めた銀時の眼前、降って湧いたかに人の姿が現れた。身構え、腰の得物へ手を掛けたのは本能に違いない。が、掴んだそれを振り出すことはなかった。
「あれ?なんでココに居んだよ?」
一瞬で脱力するほど普通すぎる言い様。聞き覚えのある声音。飄々とした語り口。
「……て、それはコッチの台詞なんですけど!」
瞬時に得物から手を引き、すかさず切り返す銀時の目の前には、忍装束に身を包んだ見知った男が立っていた。
「や、ココ…俺んちだから。」
「はぁ?」
「はぁ…じゃなくて、ココ…俺んちなの。」
「俺んち…て、ココ…お前んちかよ?」
「さっきから言ってんだろーが?俺の家だってよ。」
「え?マジでか?奇遇だな?」
「奇遇っつーか、何か用かよ?」
「やや、用っつーより奇遇だよ。」
「なんだ…奇遇か?」
「そう…奇遇。」
ハハハハ…と同時に笑う。気の抜けた笑いで無為な会話に終止符を打った。
じゃぁな…と言った全蔵が、門扉を開けることなく土塀を一度の跳躍で越えようと軽く腰を落とす。常人なら恐らく目に留められない、その動作は刹那にも満たない速さだったはずが、銀時は何事もない風に身を翻そうとする相手のコートを掴んだ。
「なに?未だ用あんの?」
「お前んち、寄ってくわ…オレ。」
「んでだよ?」
「忍者屋敷って行ったことねぇし。」
「別に普通の家だよ。」
「またまた〜、隠すなって〜。」
「隠してねぇし。」
「あんだろ?カラクリ的な、こー天井とかグワーと落ちてきたり、なんつーの?忍者的な仕掛けとかさ?」
「ねぇよ。」
「遠慮すんなって、軽く訪問するだけだから。」
「あー、もう…わぁった。好きなだけ寄ってけ…。」
諦めた。この男の執拗さを充分知っているから、全蔵は銀時を迎え入れると決した。これ以上、ご託を並べる相手に付き合うのに疲れたのもある。けれど一番の理由は、染みこんだ他人の血液が自分の体温でぬくまって、不快極まりない匂いが鼻孔へ流れ込むのをどうにかしたかったのだ。ジットリと重くなった装束を解きたかった。未だ身の内から引いていかない、不自然な高揚感を治めたいと思っていた。
表門は内部から閂が降ろされ、外からは開かない。一人ならさっさと塀を越えてしまうが、他人も一緒ではそうもいかない。全蔵はスタスタと先へ立ち、壁に沿って歩く。白さが途切れる処に見落とすくらいの木戸がある。其処から路地へ入り、通用口と思しき裏木戸を開けた。
「夜はコッチしか開かねぇから…。」
言い訳なのか説明なのか判じられない。どちらでも構わない台詞をモソリと落とす。背を屈め中へ入ると直ぐ後ろから腑抜けた声がした。
「おぉ〜でっけぇなぁ〜。」
家と言うより、屋敷。庭と言うより、庭園が銀時の眼前に広がる。手放しに感歎する男へ、振り向きもせず全蔵が言った。
「あっちの端のが俺の部屋だから…。庭通って行くから…。」
しかし了承も了解も戻ってはこない。
「なに?このデカさ。軽く学校の校庭に勝ってんじゃね?運動会とか普通に出来る…てか、忍者屋敷のクセに普通っぽいな?どこにあんの?仕掛け。あの灯籠か?あそこに何かあんのか?」
歩が止まった。前を行く全蔵が肩越しに振り返る。仰天の台詞を連射する銀時の、茫漠とした普段通りのツラを一瞥した。ふん…と鼻先で笑う。
「んなモン、ねぇって。」
言い終わるより早く歩き出す。灯りの乏しい庭の薄闇に、音もなく歩を進める姿は、今にも融けて消えそうに見えた。
何を考えているか判らない…。
これは唐突と行動を起こすたび、銀時が言われる台詞だ。
どうして、そうなるんだ?
これも同じ。脈絡のない言動へ寄越される決まり文句。
『テメ…なんで、そーなんだよ?』
これは今し方、銀時が発したものだ。相手は全蔵。
『今日、俺が上な?』
湯を浴びてくると言い残し、浴室へ消えてから二十分弱、手ぬぐいをぶら下げ、木綿の長着に着替え、のそりと戻ってきた全蔵が寄越した台詞へ返した言だった。
『オレが下って、つか…この展開てアリかよ?ねぇだろ?ふつーなら。なんで突如エロ展開になんの?』
『や、なんつーかさ、仕事の後って割と興奮しがちでさ…。』
生乾きの頭を照れた風に掻きつつ、全蔵は理由にもならない言い訳を垂れる。直後、仰向けに転がされる銀時。
『おわっ!テメッ、やる気満々ですか?うぉっ!前フリなしでチンコ握んな!!』
『え?前戯とか要んの?』
『要る!…あ、やっぱ要らね…。くそっ…もう、どっちでもイイ!』
服の上からジワリと股間を刺激され、なし崩しに了承せざる得ない銀時の様を眺め、全蔵はどこが興奮しているのか判ぜられない物言いで『どっちよ?』と訊いた。口元が笑っている。伸ばした前髪に隠れる双眸も、人の悪い笑みの形に細められているはずだった。
前戯はないが準備はあった。満遍なく、どちらかと言えば丁寧すぎるくらい、入り口も中も解されて、ジリジリとした快感の予兆が下腹部に溜まるのを感じ始めた時、徐に尻を割られた。おかしな声を二つ三つ上げ、そのまま侵入してくる雄を受け入れたのが、今から半時間くらい前。抜き差しが開始され、其程も経過せず、腹の内を様々に攻めていた全蔵から、得心した言が洩れる。
「よし…お前のツボは見切った…。」
「え?なに?テメっ…なに言ってんの?」
銀時を見下ろす全蔵がニヤと笑った。
「マジ?」
「マジ…。」
これが証拠だとばかり、先端の丸い硬さが深みをさぐり、ピンポイントで突き上げ抉った。
「おっ、おぉっ…。」
「な?ココだろ?」
「あっ…スゲ…それ…おっ…やべっ…。」
手放しで身悶える銀時へ、更に新たな刺激が加えられる。奥から順に性感帯を攻めると思わせ、竿の抜き差しの合間、其処此処へ散らばるポイントを間断なく突く。下半身だけ衣服を脱ぎ、大いに両足を開いた男が、大仰に声を上げ、無闇に騒いだ。身の内も呼応し、中を動き回る全蔵の陰茎を包み込み、時に戒める。
「わっ…そこ…イイ…あっ…。」
股間の屹立がぶわりと膨れる。少し前から滲んでいた体液が、亀頭の割れ目からドロと溢れた。
前立腺の裏、凝りに似た裡筋をカリの張り出しで引っ掻くかに擦る。
「おわっ…莫迦っ…それ…ヤベーって…。」
ゾッとする快感と射精感。股ぐらに集まる熱が一気に膨張する。吐き出す息があつい。思わず喘ぎをそこへ混ぜた。すると抑えた声音が銀時の耳管へ忍び込む。
「未だ…達かせねぇ…。」
終わらすものかと、全蔵はすかさず竿を引き寄せる。ギリギリまで手繰って、今度は深みを衝く魂胆だ。内部に絞られ、それなりに嵩を増した陰茎を、ズルリと手前へ引きかけた時、鳥羽口がギチリと弾力を締め付けた。食いしばるかに窄まるアナル。
「ちょっ…莫迦!力、入れんな!抜け!テメっ!」
狼狽えた全蔵の様をぼんやりと眺め、弾む呼吸の合間に、銀時は勝ち誇った笑いを発した。
「ちょーし乗んな…。このエロ忍者…。」
「おぁ…締めんな…くそっ…。」
腹に力を入れる。更に絞り込む括約筋。
「参った…?」
「ぅっ…参ん……ねぇ。」
「銀さんの…ケツ…ナメんな…コノヤロー。」
「そんなケツ……っ…舐めるか…。」
降参しろと銀時。負けるかと全蔵。色気も艶も何もない。単なる意地の張り合いが続く。
双方、互角。どちらも折れる気など持ち合わせていない。拮抗は未だ終わらないと思われた。
「服部…。」
不意に呼ばれ、反射的にその方へ顔を向ける。仰向ける銀時がニッと笑う。何だ?と思うより早く、上がる腕が全蔵の肩を掴んだ。勢い良く引き寄せる。咄嗟にバランスを保てず、全蔵は呆気なく銀時の上へ落ちた。
「降参しろって…。」
答えも待たず、食らいつくかに口唇を貪る。瞬く間に舌を捉え、銀時は容赦なくそれを絡め取った。
接吻と同時に締め付けが緩んだ。律動をうながす風に腰を揺する銀時。襞へ陰茎を擦りつけ、再び抜き差しを開始する全蔵。肩から背へ回り込んだ腕が、全蔵をぐぃと抱き締める。躯が密着し、互いの腹に挟まる銀時のペニスが律動に合わせ存分に扱かれた。交互に舌を弄び、口唇を離しても宙で舌先を舐めあった。意地は何処かへ消えてなくなる。言い争う声音もピタリと止んだ。仄明かりだけの部屋。畳の上で抱き合う男らは、濡れた音ばかりを垂れ流し、徐々に大きくなる絶頂の波を掴もうと、ただ快感だけを追いかけた。
事が済むと、暫くどちらも天井を見つめていた。庭先から幽かな虫の音。時折流れ込む微風。それに乗り、遠く吠える犬の声が届く。
「今日って暗くね?」
庭へ視線を遣りつつ銀時がポツリと言う。
「新月だからな…。」
「なに?詳しいじゃないの?気象予報忍者かテメェ?」
「詳しいっつーか、厄介な仕事は月のない日にするって決めてんだよ。」
「なんでよ?」
「暗い方がイイんだよ。月、出てんと意外と見えたりすっから…。」
「ふーん。」
厄介な依頼だったのかと銀時は思う。装束がしとどに濡れるほど、返り血を浴びたそれは、さぞかし厄介だったのだろうと得心した。そして平素からはうかがい知れない、尋常ならざる高揚感を持て余す、心躍る任務だったのだろうかと不思議な心持ちになった。自分から情事を仄めかすほどの昂ぶりを抑え切れないくらいに…。
「服部…。」
「ん?」
「次ん時は、月出てる日にしよーぜ。」
「はぁ?」
「だって次はオレ…上だから。」
「なに勝手に順番決めてんだよ?つーか、次って何だよ?」
答えはない。顎が外れるくらいの大あくびをしたと思うと、銀時は眠くなったとほざき、泊まっていこうか等と、手前勝手な台詞を垂れる。
「勝手言ってんじゃねぇ。さっさと帰れ、バカ侍…。」
ボソリと言ったそれへのいらえは、間の抜けた男の気の抜けた一つづりだった。
「なぁ、風呂沸いてんだろ?一緒入ろうぜ?」
全蔵は是も否も言わない。ただ得も言われぬ脱力した溜息が長く細く吐き出されただけだった。
了