暁光
=2=(『迷いの夜』後日談/ベル伯)
灯りを尽く廃した室内に、それでも置き忘れたかの仄灯りは残されている。壁際に配される小振りの棚に乗る洋燈にだけ灯が入るのは、恐らく全てを落としてしまうことにより生まれる真の闇を主が好んではいないからだろう。申し訳程度の些細な灯火でも、其れ以外の光源がなければ思いの外くっきりとした明かりを放ち、其の薄白い光に浮かぶ裸体は男の情欲を昂ぶらせるには充分すぎる艶めかしさであった。
伯爵に残る情交の痕にしてはならぬ無理強いや暴力的なまでの行為を懸念したベルッチオであったが、実際抱き合いもつれ合ってしまえばそんなものは全く無用な心配であった事を知る。彼がそうした痕跡を探る暇もないほどに、伯爵は激しく行為を強請ってきて、此までも僅かずつではあったがSEXに没頭しようとする様は見られたが、今宵は今までとは比較にならないくらい早急さを顕わにし大層乱れた。いや、努めて乱れようとしているかにも見えた。
戸口で深く頭を下げる男がそのまま扉の外へと消えて行くのを嫌がり自ら呼び止めたにも拘わらず、伯爵は椅子から立ち上がりもせず惚けたかに座り込んでいる。この場所に残される事実は耐え難い、しかし己は次ぎに何をしたいのかが判ぜられず伯爵は懸命にベルッチオを見つめていた。その様は常に己の欲するものを察し、適切な間合いで差し出す男を凝視していれば其処に求める答が浮かび上がるとでも言いたげな素振りだった。思考の端では抱かれたいのだと理解していて、けれども其れを如何にして伝えるかまで頭が回っていない。口から相手の名を吐き出したとき、伯爵の思考を支配していたのは、ただ一人残されたくないとする刹那的な懇願だけであった。自嘲気味な台詞を垂れ、実際薄く己を嘲笑していたくせに主はその先を掴みきれずにいるようだった。
下ろした頭を持ち上げてみれば、視線のすぐ先で主が自分を見つめている。何某かを発したいのか、或いは一歩を踏み出したいのか、其れすらも判っていないのか知れないが、伯爵は随分と曖昧な表情を浮かべ戸口に在る男を凝眸していた。既に退室を腹に決めていた家礼である。だがベルッチオは直ぐさま伯爵の傍らへと歩み寄る。全く自分勝手なものだと苦笑いが漏れるほど、出ていく時とは反対に彼の歩みは迅速そのものであった。たった数歩の距離である。瞬く間に主の傍らへと辿り着く。其処は今し方彼が居たよりもずっと伯爵の間近である。ベルッチオは未だ座り込む主の真横に寄るなり、すっと腰を下ろし膝を付いた。それは時折家礼の取る姿勢で、声を発てるのを憚るような会話を行う際や、或いは主の様子を大層気遣った折りにベルッチオはより近くより低く自身を据えるのである。相互の距離はとても親密で、あと少し互いが身を乗り出したなら二つの口唇を触れあわせるのも容易い間合いであった。
「誰も…伯爵を笑う者など居りません。」
そう言ったベルッチオは幾分視線を下へと落としている。何故か主を真っ向から見据えることが出来なかった。出来ないと言うよりも其れを憚った感がある。伯爵は本当に自身を恥じているように思われ、目を合わせるべきではない気がしたのだ。
「そう言うな…、不甲斐ないのは事実なのだ。 己自身の虚を収める事も出来ぬのだから…な。」
語尾を震わせ伯爵は乾いた笑いを零す。自らを蔑む笑いであった。
「人は誰しも完璧とは言えません。 私も…自分を抑えられない事はあります。」
「お前が…?」
意外だと伯爵は瞠目する。
「はい、恥ずかしい事ですが抑えきれず相手を叩きのめした事は数え切れないほどで…。」
苦笑いを浮かべるベルッチオは本当に恥ずかしいと肩を竦める。
「そんな事もあったな…。」
「はい。」
叩きのめすならマシだと家礼は腹の底で言い捨てる。今も手を伸べれば届く主を抱き締めたいと思っているし、抱き締めた躯を無理矢理にでも開きたいと望んでいる。
「しかし…私はまた、お前に理不尽な……。」
中途まで出た言の終わりは形にならず、重い嘆息に変わった。ゆっくりと頭を左右に振り、今にも言いかけた台詞を伯爵は否定しようとする。
「伯爵、其れは違います。」
「違う?」
「今夜は私が言い出した事をお忘れですか? 私が…伯爵に無礼な願いを申し出たのです。」
「其れは…。」
「お咎めも承知しています。」
「だが…。」
「恥ずべきは私です。」
「いや…。」
「差し出た真似だと判っております。」
「お前は…。」
続きは言葉にはならず、ベルッチオは怖ず怖ずと近寄った気配が伯爵の手であったのだと知る。其れは遠慮がちに彼の肩に触れ、膝頭に置いた掌に重なった。仰天し上げた目線が捉えたのは不器用な笑みを浮かべる伯爵の面であった。酷く不安定な、今にも崩れてしまいそうな笑い顔が家礼を見下ろしていた。
「お前のような、私には過ぎた従者と…出会えた事を……誇りに思う。」
「伯爵に、お仕えできた事を…何よりの誇りと感じております。」
大仰に頭を垂れベルッチオは深い感謝を口にした。
『此で良かった。』
言いながら胸の内でそう思う。きれい事の立て前が主の精神的負担を幾分でも軽減させるなら其れを真と置き換えても許されるのだろうと得心する。貪欲な情動が身の内で膨れあがっていようと、忠実な従者の顔と台詞で主が望みを口にしやすいなら阿呆らしいご託も意味を持つのだと自らに諭した。主と家礼の関係を崩さぬ限り、結ばれた絆が断ち切れないのなら、其の関わりに甘んじようとベルッチオは決した。
『此で良かったのかもしれぬ…。』
眼前で深々と礼を取る男を見つめ、伯爵は胸中で呟く。従者が主の命に従うを望むと明言されたなら、其れを敢えて払うべきではない事実を教えられた。そして人を信じたり頼ったり寄りかかるのすら拒もうとする主人へ全てを受けると言った家礼の言葉が虚言でも虚栄でもないと確信すれば、どうにも収められぬ虚を抱えた時をベルッチオに預ける我が儘も許される気がした。情けない主人を誇りと言う従者の誠意に応えるのだと言う立て前に依存する事実を恥じる心は忘れまいと決しつつ、伯爵は重ねた掌をそっと握った。
こうして彼らは明確な有り様を手に入れた。伯爵は理不尽な要求で自身の弱さを埋めようとする主人の立場を、ベルッチオは主の命を受ける従者という言い訳を得て、其れは判っていたことだけれど行為への理が判然として躊躇いを捨てられる反面、確乎たる立ち位置を崩す術を無くしたことになる。仕える者と預かる者、これ以上でも以下でもない関係は彼らに外すことのできぬ枷を与えた。
立場が明らかになったからといって伯爵が戸惑いやら躊躇やらを逸するとは思っていなかったベルッチオは、促すように伸べた腕を取り座り込んだ椅子から立ち上がった途端、躯をぶつけるかに抱きつかれ激しく接吻を望まれ酷く驚いた。其れは閨へともつれ込んだあとも同様で、伯爵は嘗てお目にかかったことのないくらい強く行為を求め、ただ時折不意に理性なのか羞恥かは判らない何かを思い出すらしく、突如垂れ流す善がりの声を飲み込んだり口元を抑えようとしたりはあったが、アナルへ家礼の指が差し入れられるに到れば観念でもしたのか、それ以降殊更に抗う素振りはしなかった。
仄かな灯りが照らす空間に伯爵の蒼白な両腕が上がる。踊るように揺れる其れは只一つのものを求めていた。己の中を無骨な指でまさぐる男を探しているのだ。ゆらゆらと宙を彷徨っていたのはごく少しの間で、伯爵は瞬く間に求める逞しい肩へ腕を絡める。そして本当に欲しくて堪らないと言った風にベルッチオを引き寄せた。
シーツの上に仰向けて横たわる肢体は、埋め込まれた二本の指に激しく翻弄されている。内部を幾分折り曲げた指の関節でしつこいほども擦られ、押し広げる為ぐぃと指の合間が開かれるから香油で滑る襞が引きつれる。鳥羽口の近くで、不意に奥まった辺りでベルッチオは気まぐれに位置を変えては其れを繰り返す。最初の頃、ただ指を挿入しただけで苦悶に呻いた伯爵が、今は此ら刺激を仔細に感じ嘘の如く快感を覚え酷く善がり身悶えながら濡れそぼる声を上げる。間もなく辿り着く最奥を予感してか、激しく喘ぎつつも現状への物足りなさに腰を揺らす。そして強請るように腕を伸ばし自身を犯す男の躯を手繰り寄せては接吻を乞うのだ。
「うぅ…っ…ん…、はっ…あぁ…。」
口吻を深く重ね合わせ、思い出したかに離れるのは呼吸を継ぐ為だ。僅かに離れれば忙しなく息を吸い込み、吐き出す代わりに伯爵は甘すぎる声を零した。薄く開く口唇から朱の色が覗く。微かに震える舌先がチラと見え隠れする様は、いやらしいくらい扇情的でベルッチオは即座に唇で捕らえきつく啜る。ビクリと肩が跳ねたと思えば、伯爵は無情にも舌を引こうとする。逃げる仕草の其れをベルッチオは簡単に手放す。が、慌て口内へ逃げ込もうとする舌を追い、彼は薄唇をこじ開けると強引に中へ自身の舌先をねじ込んだ。
食らいつくすかの接吻を続けながらも、中へと入り込んだ指はずっと伯爵を煽っていて、ずぃと深みをさぐる中指の先端が思いの外奥へ届いてしまい前立腺の裏を掠めれば、塞いだ口唇が戦慄きベルッチオの口内に熱く淫靡な声と重く湿った喘ぎが注ぎ込まれる。彼はそれらを余すことなく受け入れ、震える舌を根本からあり得ない強さで吸い上げた。呼吸の足り無さで伯爵が相手の肩を押しやる。やっと離れた互いの唇はこうして飽きずに重ね合わせた所為でぼやけた風に痺れていた。
もう内壁はしっかりと解れている。楽にとは言わないが、其程の負担もなくベルッチオの男根を飲み込む準備は出来ている。時折、最奥の手前を刺激するから伯爵の陰茎もジクジクした精液の始まりを滲ませていた。ところがベルッチオは未だ指を抜き取るつもりがないらしい。感性の核を突くでもなく、指の数を増やすそぶりも見せず、衝き入れた二本で執拗に柔らかな壁面を擦っている。手放しで発していた伯爵の淫声が徐々に焦れた色を纏い始めるのに気づいていながら、彼は其れを止めようとはしなかった。
ベルッチオが意識から払いのけようとしても無理だったのは、伯爵が数時間前に如何なる行為を済ませてきたかであった。望んでの事ではないと知っている。其れでも避けられなかったのだと理解した顔を作った。けれど事実はどう足掻いても忘れられず、彼の思考の彼方此方に染みのように残っている。恐らくSEXの最中に自分はつけられた痕を探すに違いないと践んでいた。が、事が始まってみれば何かに突き動かされるが如く快楽を欲する伯爵に気圧されベルッチオもまた悦楽へと雪崩れ込んでいったのである。でも不可思議な事象には気づかざるを得なかった。首や鎖骨、肩先に見受けられたのは間違いなく情交の名残であり、ところが抱き合い接吻を重ね主の秘所へ指を忍ばせたところ、とても其の場所が他者を受け入れたとは考えがたい様子でだったのだ。男の性器をくわえ込んだなら其れなりの痕跡が残るものである。モノの大小に拘わらず、多かれ少なかれ受け入れるべき器官ではない部位が固く勃起した質量を迎えた現実は諸々の形となる筈だ。しかし伯爵には其れがなかった。具に探れば微かな何かはあったのかもしれない。だが、指に触れてくる壁は緩やかなうねりこそしても、大きく広げられたり性器で擦られたりしたとは到底思えない様子であった。もしも歴とした痕を見つけたら自分はどうするのか?と自問し、答など持ち合わせていないのを承知しながら、ベルッチオは伯爵を追い上げつつどうにも得心できない故にいつまでも指を引き抜けずにいたのだった。実は寸での処で伯爵は激しい拒絶を顕したのではないか?と、手前勝手な想像すら浮かぶ。そして浮かんだ愚考を直ぐさま否定した。其れは自分のささやかな願いでしかないと判っていたからだ。
頭を別の思いに占有されていたから、きっとおざなりな動きになっていたのだろう。
「ぅ……ん…ベ…ルッチ…オ…?」
届かない愉悦への焦れったさが伯爵からその名を引きだし、最前肩を掴もうと伸べられ今はシーツに落ちていた腕がまたゆるりと持ち上がる。今度は相手を捜しているのではなさそうで、内側を弄られた結果半端に募ってしまった吐精感を自身で治めようと伯爵は無意識にも近い茫々とした意思で己のペニスへ手を伸ばしていた。ベルッチオは伯爵が自身の陰茎に触れる手前でその細い手首を捕まえる。やんわりと握り、ゆっくりとシーツへ下ろし、少しばかり強く其処へ縫い止めた。
「離……せ……。」
潤んだ双眸に精一杯の苛立ちを込めているのだろうが、其処には欠片の怒気も現れてはおらず、眼差しには切迫した愉悦を欲しがる懇願以外の何ものも潜んではいなかった。
「申し訳…ありません。」
厳かに発せられた謝罪は何に向けてのものだったのか。勝手な思いに行為を疎かにした事へか、それとも手前勝手な想像自体へか、或いは主の手を解放から引き離した所業へかもしれず、けれど既に半ば以上意識を欲へと取られている伯爵は其の意味するところを判じようともしなかった。ただ抑えた穏やかな響きを耳管に受けて安堵したのは事実であったようで、馴染んだ声音はきっと己の望みを叶える為に紡ぎ出されたに違いないと、伯爵はホッとしたかの微かな笑みを浮かべた。
ゆっくりと、時折息を殺すくらい密やかにベルッチオは伯爵の内へとペニスを埋めていく。もっと確かな悦を欲し伯爵が幾度も身悶えるのを待つように衝き入れた指を引き抜いた時、彼程更なる刺激を求めたくせに横臥する肢体は不安げに震え、身の内は突如訪れた欠落感を嘆くように蠢いてた。挿入の為、だらしなく投げ出された両足をM字に開かせる際軽く腰に触れただけで伯爵は表皮を粟立たせ、股間に屹立する陰茎までもが呼応するかにビクビクと鼓動を刻んだ。内部を様々に弄られているうちから性器は白濁した体液を絶え間なく垂れ流しており、もうこの時点では股ぐらだけでなく薄く筋肉の張る腹までもいやらしく汚していた。
ベルッチオはいざ性器を衝き入れる直前までスラックスを取らない。主への礼儀なのか彼の流儀であるのかは知らないが、慌てたようにピッタリした其れを剥ぎ取れば現れたペニスは猛り狂った強欲さで巨大な質量へと変化している。眼前に開かれる両足の奥に潜む恐ろしく狭窄したあの場所へ自分の滾りきった性器を押し込むのだと思うと、些かではあるが主への申し訳なさを覚える。どれほど解しても緩めたとしても、物理的な負担の大きさは想像に余りある。慣れてきたとはいえ、この時伯爵が張り付ける苦悶の表情は掛け値なしの苦痛を訴えるものだと判っていて、だから済まない気持ちは確かに在るけれど、まるで気づかぬ素振りでアナルへ挿し入れる。今し方ベルッチオの口から漏れた謝罪には、伯爵へ痛みを与える事実への気遣いも含まれていたのかも知れない。
大きく深い一息を吐いたのは、脳裡を掠めるそうした諸々から気持ちを引き剥がすためである。ベルッチオは両手で華奢な腰を支え幾分持ち上げたのちこの上もない硬さを誇示する自身のペニスの先をヒクヒクと待ちわびる鳥羽口へと押し込んだ。
「ぐっ……ぅ……。」
腰が逃げたのは本能にすぎない。背が軋むくらい仰け反るのも、肩が痛むほども強張るのも、脇腹が引きつれて呼吸が途切れるのも全て物理的な反射でしかない事を伯爵は知っていた。幾度同じ事を繰り返せば穏やかにベルッチオを迎え入れるようになるのか、あれだけ解され蕩かされ拓かれた筈なのに、躯は少しも覚えようとしないのは何故だろうかと一時薄らいだ意識の底で伯爵は誰にともなく問いかける。こんな醜態を見せるから家礼が悔やむような、やり切れない辛さに似た翳りで常に己だけを見つめる眸を曇らせるのだ。なけなしの努力で力を抜こうと足掻いてみても、結局其れは実を結ばない。欠片も形にならない。気持ちだけが空回りして霞んだ思考を更に曖昧にするだけだ。それならせめて彼の行為を拒んではいないと伝えるために、幾度と無く呼んだあの名を口にしたいと伯爵は声を絞る。
「ぁ…っ…ん…あぁ…。」
ところが頃合いを計ったかに内部を陰茎が侵蝕し、柔らかくまとわる壁を大きすぎる質量がズルリと擦った。開いた口から溢れたのは淫猥な喘ぎの声で、其処には家礼の名など一片も紡がれてはいなかった。予想はしていたが当たり前でもあるかに鳥羽口付近がきつく締まりベルッチオは丁度括れの僅か下辺りに絞るような戒めを受ける。一瞬、遠慮のない拘束に顔を歪めた。みちみちと膨れあがるペニスは不意の刺激で更に硬さを増したらしく、彼にしては珍しいことだが気を抜くとこの場で吐き出してしまいそうな射精への誘惑が頭を過ぎった。脇腹を痙攣させる伯爵がシーツを闇雲に握ろうとしている様が視界の端へ引っ掛かる。 多分、反射的に訪れた痛感に耐えているのだろうと判じた。
緩和する術は股間の屹立を数度掻き上げる事だ。が、ベルッチオはそちらへ手を伸べかけ思い直し中途で止める。主の感じる苦痛を余所に、しっかりと勃起した性器は別の生き物でもあるかに絶え間なく精液を先端から零していたのだ。未だ事に慣れきっていない其処へ一時のものとはいえ刺激を与えれば、締め付けは薄まる代わりに吐精感は募るに違いなく、其れは悪戯に伯爵を追い立てる結果をもたらすのは明かで、ヘタをすればこの場で果ててしまう可能性も確かにあり、だから彼は無理を承知でペニスを奥へと進めた。
ベルッチオは一気に奥を目指すことをせず、僅かずつ内部を侵蝕する事を選んだらしい。強引な挿入は激しすぎる快楽をもたらす代わりに事の終わりを早めてしまう。家礼はその狂おしい快感より少しでも長く主の乱れ善がる姿を見つめることを望みゆるやかな情事に手を伸ばしたのであった。そして実に緩慢な動きで伯爵は貫かれていく。性急に快楽へと辿り着きたいと願い、だが徐々に犯される愉悦にも快感を覚え啜り泣きにも聞こえる喘ぎが止め処なく口唇を割る。単に奥へと掘り進むだけの動きが、ベルッチオの大きさと硬さ故に内壁を抉り、その部分に生まれる痺れるような悦に苛まれる伯爵は何度も身を捩り腰をくねらせ情欲の昂ぶりを伝えた。
「ん…ぅ……ぁ…。」
忙しなく切れ切れの呼吸に混じり短い音が漏れる。そして再び気怠げに腕が上がった。もう何度目のことだろうか。
「もう……僅かです。」
やわりと押しとどめる掌は、中を押し開く性器の感触とは異なりとても優しい。
「もう……、僅……か?」
鸚鵡返しのいらえは別段もどる何かを求めているわけではない。ただ内耳が捕らえた穏やかさを繰り返しているにすぎない。しかし稚拙な言い回しと何処か頼りない声音は幼ささえ漂わせ、ベルッチオの庇護欲を煽る。
「あと少しのことです…。」
諭すような囁きを送り、触れる手の甲を指先で軽く撫でた。重たげな目蓋が薄く開き、現れた眸に確かな像が結ばれているかは怪しいが、伯爵は不意に口元を緩め仄かに笑んでみせる。判ったといっているようでもあり、何かを言われた事への安堵かもしれないが、顰めた眉すら解けたその面にベルッチオは堪らない愛おしさを感じた。
忍ぶように、それでいて大きすぎる存在感は体内を蹂躙するごとく、でも強引さの欠片もなくズブズブと埋まっていく家礼の性器が内壁に擦れる感触に喘ぐのは不思議な感覚だと伯爵は思っている。此の部位は性交を行う為にあるのではなくて、だからこんな質量を衝き入れられたら苦しいだろうとは想像できたが実際はこんなにも不可思議な心地よさを感じて、伯爵は阿呆のように手放しで快感を貪っている。同性に欲情したことなど未だ嘗てこれっぽっちもなかったから、己はどう考えても男色ではなく、其れが此程も相手に身を委ねて悦を求めるのが本当に不思議だと幾度もぼやけた脳みそで繰り返していた。ダラダラと善がり声を零し続けるのは本当は酷く恥ずかしく、其れを相手であるベルッチオが具に聞いているかと考えるだけで身も竦む思いだったのは最初の数度までだった。其の後は余裕がないこともあり、回を重ねる毎に快感を追う術を覚え、其れが故に行為へと溺れていく速度が速まってしまい、時折意識が妙に冴えた瞬間だけ消え入りたいくらいの羞恥を覚え口唇を強く噛みしめるのだが、そんなものは瞬く間に解けて再び淫らがましい声を惜しげもなく吐き出している自分がいるのだ。
「あっ、あ…、あぁ…、う…ん……ぁ…。」
思う傍からまたあの忌まわしいくらい猥雑な声が伯爵の口唇から吐き出される。ベルッチオはもう間もなくだと言ったけれど、それはどのくらいの間もなくなのかと意味のない思考を弄んでいれば、漸く全てが納まったらしく家礼の押し込み擦り続ける動きが止んだ。伯爵から、そしてベルッチオから同時にホッとしたかの息が漏れる。壊れるような強引さで貫いた時も、今宵のように僅かずつ挿入した時も家礼は根本まで性器が納まって直ぐは動こうとしない。主への心配りもある。そして、この後始まるであろう激しい律動の前に気持ちを整えているのも確かなことだ。
躯の中心に向かい巨大とも言える質量を飲み込んでいる感触に得も言われぬ充足を覚え伯爵はもう一度長い息を吐く。その時脳裡に浮かんだのは数時間前の屈辱的な交わりの記憶であった。半端で無機質な道具が意思もなく己を犯すだけなのに、物理的とはいえ快感を得ようと腰を動かした惨めさは忘れたいものであり断じて記憶に止めるなど許せない事実だった。其れが思い起こされるのは、自分があれと今納まるものを無意識に比べているのだと理解する。性感帯を無遠慮に突かれ本能で自らの性器を掻き続けて射精した其れが伯爵に残したのは、満たされなかった心の餓えだったようで、立ち去ろうとした家礼を呼び止めたのは肋骨の内側にぽかりと開いた虚ろをどうにかして埋めようとした浅ましい飢餓感の為に違いない。故に今、みっしりと身の内を埋め尽くす熱塊に呼吸を乱しながらも人の躯の一部が其の場所を埋め尽くしている感覚に途方もない満足を得ているのだ。まして相手が此の穏やかな強さで自身を受け止める男なのだから尚のこと、精神の欠落感すら忘れてしまうほどの充足を感じることが出来るのである。
「伯爵…。」
密やかな呼びかけは動く事への了解を求める問いかけだ。伯爵は声にはせず、だがしっかりと頷いてみせる。奥まで届く長さが引き出されるのだと思いこんでいた伯爵は次ぎにベルッチオがとった行動に瞬間あからさまな動揺を顕した。
「ベルッチオ。」
大仰な叫びではない。どちらかと言えば引きつるような困惑の声である。てっきり律動を始めると践んでいた伯爵を裏切るかに、ベルッチオは貫いたままの腰を幾分持ち上げ大きく揺すりながら更にペニスを押し込んだ。
「ぅ…あっ、あっ、あ…ぁ…っ…ん…ぁ…あぁ…。」
もうすっかりと納まっていた筈のものが信じがたい深みまで入り込んだ。充分すぎる硬さを保持する切っ先が鋭く伯爵の最奥を突き上げる。
「いっ……あ…ぁっ…う…ぁ…あっ…。」
もう一度揺すられれば周囲をカリが容赦なく擦り仰け反った喉を震わせ伯爵は無防備な嬌声を吐きちらす。
一息を入れる暇もなくズルリとした感触が体内を這う。ベルッチオが空かさずペニスを引いたのだ。張り出したカリは柔らかな内襞を掻きむしるように抉り、其れは愉悦に惑わされる伯爵を更なる快楽となって乱した。中途まで引き出した陰茎を家礼は無造作に押し込む。すると性器全体が壁に擦れ、引かれるのとは別の刺激が主を襲った。奥へと這い進む悦、それが再び戻る際の快感。抜け落ちるまで引いて、強引に突き刺す衝撃。或いはもどかしい辺りから深みを突く刺激。そして律動の合間に揺すられ感性の集まるその部位を思う存分摩擦される感触。複雑に絡み合う悦楽は目眩を引き起こすほどの歓喜をもたらし、繰り返される動きに伯爵は意味のない叫びを幾つも発し全身を震わせ淫猥に喘ぎ、其れでも足りないのか誘いの如く腰を揺らした。
規則的な律動では飽き足らないと、ベルッチオはペニスを内壁に執拗に擦りつける。また蠢いて包み込む顫動を助長する如く腰の動きを変化させ伯爵の体内を掻き回した。陰湿な音は夜に抱き込まれた室内に大きく響き、虚ろから不意に我を取り戻す伯爵の耳へと忍び込む。耳を覆いたくなるほどの厭らしい音に伯爵は身悶え、欲と熱を煽られ、忙しい呼吸を更に乱し、気が触れたように腰を揺らす。微塵も触れていないのに、伯爵のペニスは腹に付くくらい屹立している。先端の口はドロリとした精液を常に溢れさせていて、ベルッチオのもたらす刺激の強さに呼応すると、一度は窄まり次の瞬間大きく喘ぐかに絶頂の先触れを吹き上げる。あと少しの何かがあれば、今にも達ってしまうに違いない。早く楽にした方が良いのだと判っていて、でもこの時を終わらせるのを先延ばしにしている自分の稚拙な欲を堪えきれず、ベルッチオはまた腰を打ち付ける。伯爵が、或いは自分が高見に手を掛けてしまえば其処で終わってしまう時間は、常に互いが目を背ける薄暗い未来もなく、相互を隔てる関係も規律も形を潜め、主を苛む大儀への迷いや自分を押しとどめる躊躇いの片鱗も何処かへ消し飛んでいて、だがたった一カ所繋がった部分が離れた途端、それらは当然の如く舞い戻ってくるのを知っているから、彼はいつまでも終わらせる事を拒んでいるのだ。
「ぅ……ぁ…あぁ…はぁ…ベ……ッチ…オ。」
がしかし、もどかしいと彼を呼ぶ声に聞こえぬふりを続けるのも出来ぬ相談で、ブルリと身を震わせる伯爵の両腕が最後の足掻きの如く上がるのを知れば、もう此の甘美な時にけじめをつけるべきだとベルッチオも腹を括る。
伯爵の腕が欲しているのは確かな温度と人の形で、其れは引き寄せられるように褐色の肌を探し当てシーツについた逞しい腕を掴む。するとそれまで決して触れてこなかった家礼が、当然体重を掛けないよう加減をしてはいるが、ゆっくりと慎重な動きで伯爵の上へと覆い被さる。合わさったのは胸と、そして激しく勃起するペニスを挟む互いの腹部であった。伯爵の手が家礼の背に滑り、大して力など入ってはいないのに、まるで離さないとでも言う風にしっかりと抱き締める。そうして抱き合う形となったまま、ベルッチオは今までより過激な律動を開始した。衝き入れる度、張りつめた筋肉に伯爵の陰茎が掻き上げられ、また引き出す動作につられ扱かれ、密着する皮膚に圧迫されて、この上もない快感に襲われる。手淫の気持ちよさとは違う、もっと激しい動きによる刺激は瞬く間に伯爵を追い込んでいった。恐らく次ぎはないと思ったのはベルッチオで、伯爵は既に声を上げるのすら忘れていて、だから一切の心づもりも持たずにいた筈だった。大きく手繰り寄せたペニスを渾身で衝き入れたその時、抱き締める躯が痙攣し、引きつった声とも呻きともつかない音が伯爵から漏れたのが最後で、ベルッチオは触れあった腹の辺りに熱い滑りが大量に吐出するのを感じた。
「うっ………。」
射精の余波が起こした内壁の収縮に飲み込まれ、ベルッチオも間を置かず伯爵の中へと滾りを惜しみなく放った。残滓を絞り出すよう、陰茎を襞に擦ったのち彼は刹那の躊躇いを覚えつつ主の上へ躯を落とした。掛かる重みを嫌がりもせず、逆に迎える事を喜ぶように、伯爵は背に廻した腕に僅かな力を込めた。
汚れた躯を拭う為、離れようとした男から腕を引かなかったのは主であった。其れよりも、繋がった部位を抜くのさえ嫌がる素振りをみせ、ベルッチオは射精の倦怠から伯爵が短い微睡みへ落ちるのを待たなければならなかった。漸く痕跡を清め、精液の染みが残るシーツを代え、主の様子を覗き込んだ男の腕を取り寝台へと引き戻した途端、伯爵は当たり前であるかにその胸に顔を寄せ、また腕を相手の背へと伸べた。夢と現の境が判然としていないが故の行動だろうと、ベルッチオは仰天の表情に得も言われぬ曖昧な笑みを浮かべそう結論する。ただ人の肌が恋しいだけの、SEXがもたらす充足の時に漂っている所為に違いないと考えることに努めた。間違っても自分が求められている等と、阿呆らしい慢心を覚えてはならないのだと、彼は容易く雪崩れていきそうな気持ちを腹の底へと押し込めた。
もう幾度目のことかと曖昧な思考を動かしつつ伯爵は目蓋を上げる。薄暗い空間、己のものでない呼吸音、鳴りやまぬ歯車の奏でる音、そして僅かに手を伸ばせば其処にある人の形。此はまだ夢の続きだと思いこみ、だから求める先に在る温度が失せていかないのだと安堵する。夢でなければ、温もりに触れた途端、ゆるりと髪を撫でられるわけがない。まるで想いを告げあった者同士であるかの素振りが許される筈がないのだと声に出さず呟いていた。そっとシーツの上を滑らせる指先にやはり同じ肌の感触が触れる。緩く指を絡めようとすれば、しっかりとした掌が其れを包み込む。伯爵は細く長い吐息をつき、また目蓋を下ろした。
意識が先に現へと戻り、伯爵は目を開くより先に傍らの男へと腕を伸べる。だが僅かに遅れて開いた双眸が捉えた現実に、彼は怯えるかの仕草で腕を引き寄せた。固く閉じられていても帳の重なりには隙間があり、其の微かな間より射し入るのが、明けの暁光であると瞬時に悟ったのだ。細い一筋の帯は、己と傍らの者との狭間を遮る如くシーツの上へと伸びている。煌めきは一日の始まりを告げ、穏やかな夢の終わりを教えていた。
間もなく家礼はこの場から去っていくだろう。そして主は其れをとどめる術を知らない。ただ遠ざかる気配をいつまでも浅ましく追いかけるだけのことだ。
終