迷いの夜
=3=(ベル伯/フェル伯)
馬車から降り立った伯爵は平伏すほども頭を垂れる屋敷付きの青年に促され其れまでとは異なる方角へと歩を進めた。本邸の外周を回り込む植え込みの並んだ小径は途中から木立の中を抜け先日眺めた別邸へと続く。目指す建物が間近に迫った時、実は此方にも車寄せが存在していることを知る。恐らく正面とは別に馬車を迎える入り口があるのだろう。そして本来は其方から直接別邸へと乗り付けるのが密かな決め事なのだと悟った。
前を行く青年は終始無言で、伯爵も口を開くつもりがなかったから此の先に何が待ちかまえるかを欠片も知る術はない。だが仮にあったとしても大凡は理解していたから、きっと無駄な問いを向けるなどしなかったろう。ゆったりとした足取りで最前の玄関から歩くこと五分あまり、近くで見るとお世辞にも優美とは言い難い少々寂れた感のある別邸へと到着した。
「お帰りの際は邸内に居ります者にお申し付けください。此方まで馬車を廻して参ります。」
青年はただ案内をするための存在らしく、それだけを述べると踵を返し薄闇の降りる小径を戻っていった。それと入れ替わるかに別の男が現れ、慇懃な礼を一つ取り伯爵を屋敷の中へと導いた。
通された部屋は玄関ホールから最も奥まった先にあった。長い廊下に並ぶ扉の内側で一体何が行われているのかなど杳として知れない。が、屋敷中に漂う艶めかしい温度から少なくとも単なる歓談が繰り広げられているのではないと判る。扉を叩いたのは件の男で、内部から答えたのは良く知った声であった。ゆっくりと開く扉、灯りを極力抑えた室内、そして設えられた大ぶりの長椅子から立ち上がって伯爵を待つ人影、どれも現実でありながら虚ろでもあるかの印象を与える。いや、実は伯爵が此を目覚めていながらに見る夢か幻と思いたがっていたのかもしれない。
一歩室内に践み入った瞬間、背後で静かに扉が閉じる。伯爵は何かを発するでもなくその場に佇んでいた。やはり…というべきか、薄暗い部屋に聞こえたのは待っていた男の声だった。
「お待ちしておりました。ようこそ…と言うのは少々違っておりますが、おいで下さり嬉しく思っています。」
伯爵は一度ゆっくりと頭を下げ、酷く落ち着いた声音で返礼した。
「お招き有り難うございます。お待たせしてしまったようで、申し訳ありません。」
大層穏やかで親愛さえ滲む台詞である。が、伯爵は扉の前から一歩たりとも動こうとしない。
ゆらりと影が動く。変わらずその場に在り続ける伯爵に焦れたのかフェルナンは長椅子の前を離れた。
「そんな処に居られず、どうか此方に。」
広げた腕が肩に廻る。あの夜と同じ怖気が伯爵の全身を泡立たせた。顔に出さぬ努力が更に穏やかな笑みを作らせる。
逃げ出したい衝動を抑える事に神経の全てを注いだ。この展開を招いたのは己である。相手に不信感を抱かせぬ為に沸々と湧き上がる嫌悪と憎悪を腹の底に押し込めた。促されるまま長椅子へとかける。当然の顔でフェルナンは真横に腰を下ろした。
「伯爵はどちらがお好みなのかをずっと考えていたのですが、無礼を承知で伺っても宜しいですかな?」
「好み…と申されますと?」
思わずと言った風に破顔し、伯爵もお人が悪いと語尾を揺らす相手の腕が相変わらず肩に廻されている事実から意識を引き離すべく、伯爵は全く別の辺りへ視線を遊ばせる。
「まさか、全くの初めてだと仰るおつもりではありますまい?」
「先日も申し上げましたが、私はこうした貴族の嗜みには馴染みがございません。もしもご無礼があっては…とそればかりを気にしております。」
「それでしたら……。」
肩から滑り降りた掌が腰へと廻り、僅かにあった互いの距離を一気に狭めた。相手の口唇が耳元へと近づく。呼吸さえ聞き漏らさぬ間近さからフェルナンは潜めた声を送り続ける。
「僭越ながら、私が教えて差し上げましょう。」
生暖かい息が耳にかかるたび、伯爵は吐き気にも似た苦みが鳩尾に吹き堪るのを感じていた。
上着の前を開きシャツの合わせをくつろげる手際の良さは何処かこれ見よがしの自信を匂わせる。手慣れていると、全て任せれば良いのだと、相手の都合もお構いなしの態度には傍から何かを差し挟めない強引さがあった。乱れた服の隙間から忍び入る手が鎖骨をスルと撫でた。予想していたにも拘わらず伯爵はギクリと肩を竦める。其れが相手に如何なる反応と映るかを熟知しているから、伯爵はそんな些細な事にも居竦んでしまう己を苦々しく思った。
鎖骨をなぞっていた指先が決まり事であるかに胸へと滑る。背がざわつくのは他人に素肌を触られている為だ。でも伯爵は下腹に燻り始めている別の因子の存在にも気づいていた。未だ硬さを宿していない突起に触れない辺りで円を描き幾度も辿るのはわざとに違いない。焦らしているのか、それとも初めてだと宣う相手を試しているのかもしれなかった。
「……ッ!」
不意打ちのように先端を指が擦った。息を飲み込んだのは仕方ないにしても、痺れる心地よさをハッキリと感じてしまい堪らず上げそうになった声を寸でで飲み下した。が、恐らくフェルナンは気づいている。
「此処は随分と敏感でしらっしゃいますな。」
語尾を震わせる台詞は明らかに楽しんでいるとしか思えず、数日前の夜半に交わした家礼との情を未だ忘れていない己の躯を伯爵は忌々しいと言うより物悲しく感じた。
「実は、もしも伯爵が以前からこうした嗜みをご存知でいらして…。」
言いながら首筋を舌がねちゃりと舐める。
「施す側をお望みであったら、どうしたものかと悩んでおりました。」
項に一度押しつけた口唇が瞬く間に移動し、長い髪から覗く柔らかそうな耳朶をやわりと食んだ。
「私は……本当に…不作法な田舎者ですから…、こうして将軍…に教えを請う…っ事を…有り難く…思っておりま…
す。」
たった此だけを一度に続けられないのは、耳朶を厭らしく舌でなぞられ同時に胸を執拗に弄られているからだ。幾度も言葉を切り、容赦なく溢れようとする甘やかな喘ぎを何とか誤魔化していたのである。
「不作法などと、実際こうして伯爵と更なる親密を持つ機会を得て、私こそ有り難いと思っておりますよ。」
言い終わるや否や、耳の先に歯を当てられ伯爵は膝に置いたままの両手を硬く握りしめた。
あからさまな誘いを向けられたあの時から、伯爵もずっと迷い続けていた。軍部の頂点に上り詰めた男、其れでは飽き足りず次期大統領にすら成らんと目論む男なら、多分己を組み敷く方を好むと判じた。けれど人の好みなど一つの側面からは計り知れないのも実のところで、普段他者を足下に従える者だからこそ理不尽に犯されるを望むのもあり得ると考えた。
相手がどちらを欲するかが重要なのではない。己がどちらなら耐えられるかが問題なのである。憎しみの根元である男に思うがまま嬲られると想像すれば嫌悪に躯が震える。でも逆にあの男の中へ自身をねじ込むさまを思い描けば、苦しいほどにやり切れない心持ちが募る。それにねじ込むほど己の性器が昂ぶるかも怪しい。迷いに迷いを重ねた末、伯爵の出した決は甘んじて受け入れる事であった。其れがどれくらいの時間なのか微塵も判らないが、夜を徹して続くとは思えず、単なる遊びであったなら数時間を堪えれば良いのだと自らに言い聞かせた。
全く別の事を止め処なく脳裡に浮かべやり過ごすか、或いは単なる行為として快楽だけを追ってしまえば虚ろな時に幕も引かれよう。こうして伯爵は我が身を貫かれる行為を選んだ。もしもどちらかを選べと言われたなら、空かさず其方をと手を伸ばすことを誓った。
だから最初からフェルナンが嬲る側を匂わせたことに若干の安堵を覚える。あとはされるがまま、木偶の坊となるだけだと腹を決めた。此も大儀には必要な因子なのかもしれないと、馬鹿らしい言い訳を自らに向け、一時の戯れに臨んだのである。
そして今、フェルナンの掌は身勝手に肌を這い回り、胸にあったかと思うと脇腹をさすり、腰をやんわりと撫でて徐に足の付け根へと忍んでいる。上体は既に服を着ていると言うより、薄い絹のシャツに袖を通しているだけで、顕わになった胸の一カ所だけをしつこいくらい唇が弄んでいた。
「ぁ…っ…。」
きゅっと強く吸われ堪えきれない声が洩れる。自分でも可笑しいほどに厭らしく濡れた其れが、相手を殊更喜ばせたのは言うまでもない。つんと尖る乳首の根本を前歯で甘噛みしたのち、フェルナンは不意に口唇を離すと至極訝しげな含みでこう宣った。
「とても初めてとは思われませんな…。元から敏感な方なのか…或いは謙遜を言われたのか…。」
足の付け根を辿っていた指先が服の上から性器に触れる。
「ん…んぅ……。」
「胸を勃ちあがらせておられるだけでなく、此方まではっきりと感じられているとは…。」
下肢に纏う黒絹ごとじわりと握り、その形と熱を確かめフェルナンは本当のところは如何なのです?と耳元で囁いた。
「そ…、それは、将軍の……ぁっ…ご教授が…、っ…素晴らしい……ぅ…からかと…。」
長椅子に掛け、躯を背もたせに預ける伯爵はじわじわと股間を圧迫する刺激に身を震わせ漸くといった風に言葉を繋いだ。既に足の力は大方抜けていて上体もくったりと凭れたまま動かず、唯一自由になる両手で己の衣装を握りしめるばかりである。
「お褒め頂き光栄には思いますが、事の真偽を確かめてみたくもありますな。」
悪戯な笑みを刻む男は言い終わるが早いか下肢の黒衣を緩め、半ば勃ちあがる陰茎を大気に晒す。
「やはり此方は随分と濡れておりますが……。」
急に戒めを失いビクビクと震えるペニスの先端を親指の腹でゆるりと撫でる。
「いっ……ぁ…っ…。」
指が触れただけで先からは透明な粘液が滲み出た。
「それなら、此方の方はどうされているかが気になるところです。」
力無く開いた両足の間へ入り込んだ腕は迷わず秘所へと届く。鳥羽口の周囲を指で探り、しかし内部へは入らず一旦腕は離れた。
「このままではお辛いでしょう。少々お待ち下さい。」
半端な刺激に焦らされた陰茎を置き去りにし、フェルナンは立ち上がり室内を移動し瞬く間に戻ってきた。大気に微かな香が漂う。全く憶えのない香りではあるが、其れが何なのかは瞬時に知れる。硬質な微音は容器の蓋を取り去った音で、より強く匂う香りは適量を指に塗布した証であった。
今一度差し入れた腕が秘所に迫り、逃れる仕草で腰を浮かせた伯爵はまるで相手を誘っているかに見えた。
「待ち切れませんかな?」
「そんなことは、あ………っ!」
鳥羽口を緩めもせず挿入された驚きに伯爵は背を撓らせ言葉を逸した。押し入った指はズイと内壁をかき分ける遠慮の無さがあった。異物に驚く内部が不規則にうねっても何らお構いなしで感じる部分を探る不躾さを覚えた。急に壁を摺られた事を嫌がってきつい収縮を起こす反応も気に掛けない貪欲さと高慢さに怒りすら湧き起こった。でも、そうした動きが何を与えるか伯爵は知りすぎていて、苦悶を張り付けながらもずくずくとした熱さが下腹部に集まるのを止められずにいる。
「っ…んん…そ、そこは…、ぁ…あぁ…止め…ぅ…。」
これがもう少し以前だったら激しい不快感しか感じずにいられたのに、異物の蠢きの背後に忍ぶ大きな愉悦が淫らがましい声を押し出してしまう。半ばで留まる指の腹に、周囲を執拗に擦られながら伯爵は自身がすっかりと昂ぶっているのを理解していた。折り曲げた指の関節が襞を抉るかに擦り上げる。
「はぁ…ん…ぅん…、其れ…は…うっ…ぁぁ…。」
布を握りしめる指先を痙攣させ、伯爵は拒む言葉を吐き出そうとする。本当に止めて欲しいのかは怪しいのだけれど、未だ始まったばかりの行為に飲み込まれそうになる己を阻止したかったのは確かな筈だ。
すると不思議なことが起こった。埋め込まれた指がスルリと抜き取られたのである。中途半端なまま捨て置かれたような欠落感が伯爵を襲い、其れは酷く辛そうな吐息となってこぼれ落ちた。
「貴方は…私を謀るおつもりか?」
「…?」
「決して初めての戯れではないと、貴方の躯が申されておられますよ。」
「まさか…謀るなどと…。」
「では、どうしたおつもりがお有りなのか?」
「それは……。」
「こうした行為をとても良くご存知だとしか思えませんが。」
「………。」
本当なら意味ありげな笑みを浮かべたいところである。だが噛みしめた唇を細かく震わせるしかできず、此を相手がどう解釈するかは全く予測も出来ない。僅かに俯き、落とした視線の先には腹に触れるほども勃ちあがった己の性器があった。
「お答え戴けないのはお話になりたくない、其れなりの理由があるのかもしれませんな。ただ、充分に行為をご存知なら私のお持てなしをお喜びいただけるかと…。」
最前と同様にフェルナンは立ち上がり、室内の彼方此方に潜む薄暗がりへと歩いて行く。灯りの届かぬ辺りに何があるのかを見て取るのは難しいが、恐らく壁際に置かれた家具へと何某を求めにいったようだ。今度もあっと言う間に戻ってきたが、先ほどとは異なりフェルナンの手にした物が一体何なのかを伯爵は察せられなかった。けれど相手が其れを間近へ差し出すのを眺め、伯爵は驚嘆に大きく双眸を瞠った。
「此が如何なる物かはお察し戴けるでしょう。」
掌に載せた物体は、性器を象った白い樹脂である。
「仕組みには詳しくありませんので、説明などは省かせて頂きます。使い方は到って簡単で、此を中へと入れれば良いだけのことです。」
「何の…為に…?」
「初めての方の躯を無理なく解す為の道具…と言えばお分かりになりますかな?」
「其れを…私…に?」
「体温を感知すると、此は驚くほど質量を増す仕掛けになっておりましてね。太さもですが、長さも今とは比べものにならないほど変化するのです。」
「何故其れを…。」
「いや、ちょっとした思いつきと言いますか。伯爵が戯れに慣れて居られるなら、どのように悦を感じられるのかに非常に興味が湧きましたので、折角の機会に拝見させて頂こうかと考えました。」
己が浮かべる筈であった意味ありげな笑みは、今伯爵を見つめる男の頬に刻まれていた。
じっとりと粘り着く視線を感じ伯爵は更に硬く双眸を瞑る。しかし逆に視界を閉ざしたことで相手の視線に籠もる淫猥な熱や耳の直ぐ傍らで繰り返される呼吸の音を強く意識してしまう。だからと言って、もう一度眸を開くなど出来ない相談で、伯爵はひたすら膨れあがる快感に耐えるしか術がなかった。
喉の奥がひりつくくらい息を吸い込むにも拘わらず、肺は半分も満たされない。じわじわと内部を犯す質感の滑らかさが実際の指で押し広げられるより真っ直ぐな悦を運ぶ事実に幾度身を捩らせたか知れない。本物の性器を挿入された時の胸苦しいまでの存在感はない。ただ酷く緩慢な膨張が徐々に最奥へと迫る感触は、背後から追い立てられるかの切迫感と似ていた。核心へは届かないもどかしさが辛い。伯爵は無意識に腰を揺らした。
「う…ん……ぅ…あ…っ、は…ぁ…。」
自らの動きが不要に内部を刺激したらしく、伯爵は閉じ忘れた口唇から濡れそぼる喘ぎを惜しげもなく垂れ流す。フェルナンは触れるほども間近に陣取り、食い入るくらい愉悦に苛まれる様を見つめ、時折思い出しては胸を弄ぶ。
「なかなかに、時間がかかるものですな。」
面白がっているのは声音の軽やかさから判ぜられる。薄ら笑いを浮かべているのかもしれない。大層低い体温しか有しない伯爵へ埋められた件の器具は、本当にゆっくりとした変化しかあらわさない。それでも容量は最初とは比べものにならない大きさになっている為、内側をみっしりと満たしいた。じっとしていれば不要に己を感じさせないと頭では理解している。だがしかし、幾ら待てもやって来ない悦楽の波に焦れ伯爵は身を捩り腰を動かす。そして耐え難い僅かな刺激を生んでは苦しげに喘ぎを洩らした。
忙しない呼吸を繰り返し、その合間を縫って何度懇願を紡いだか判らない。聞こえないふりや、的を得ないいらえや、曖昧な相づちを打ち、フェルナンはその都度伯爵の素肌を撫で廻した。
「将……軍…、もう…お許し……ぅん…を…。」
「とんでもない、今止めてしまえば貴方がお辛いだけだ。」
「今…も…、充分……ぁ…あ…辛い…っ…。」
「でも、もう間もなく楽になる筈です。」
『楽に』と発しつつ、敏感になりすぎる乳頭を指で捻り上げた。
「いっ……うぅ……ぁあ…あぁ…。」
絞り出す喘ぎは苦痛を滲ませる。伯爵は身の置き所を無くした如き中途半端な悦に顔を歪めた。また腰がゆるりと振れる。樹脂の肌触りが幾度めかの変化を起こした。壁が引きつれる。そしてズクリと伸びた全長が最奥の少し手前まで辿り着いた。
「ん……んぅ…ん…イ…や…っ…。」
「あと少しの事です。」
指先が股間の際を掠める。既に間断なく吐き出された精液で其処は淫らにぬめっていた。フェルナンは決してペニスに触れようとしない、絶妙な辺りを軽くさするだけであった。此も執拗なもどかしさを生み、伯爵は何度も躯を震わせ届かぬ終わりに身悶えた。
間もなくと言ったわりに大きな変化はなかなか訪れない。流石に焦れてきたとみえ、フェルナンは硬く凝った乳頭を貪るように口へと含んだ。
「ぁっ…、あぁ…、う…ん…あっ…。」
舌で押しつぶし、歯を立てる事を数度重ねてから猥雑な音を発て其れを強く啜り上げる。どうやら其れが引き金となったようだ。
「あぁぁぁっ…ぁ……ぁっあああっ…。」
突如背を撓らせ嬌声を高く上げた伯爵に、漸く其の場所へ器具の先端が到達したのだと悟る。まるで驚愕するかに、伯爵は双眸を見開いて躯を激しく痙攣させた。
「うぁ…あぁ…っ、う…ああぁぁ…あぅああ…。」
「此程、お喜び戴けるとは予想外のことだ。」
ガクガクと震えて止まらぬ肩をやんわりと撫で、耳元に囁くが其れは欠片も聞こえはしない。
「あっ…ぁっ…あ…う…ん…ぅ…あぁ…。」
一度届けば引くことをしない単なる道具である。前立腺の裏をひたすら抉るだけの刺激に伯爵は狂ったかの嬌声を止められない。喉をひきつらせる様子に漸くフェルナンは此だけでは終われぬ事実を知った。
「ああ、確かに貴方は戯れをご存知だったようだが、此の悦だけで終わらせる程は慣れておられなかったのですな。」
「うっ、あ、あ、ぁ…ああっ…。」
「ならばご自分で終わらせるべきだ。」
強張る腕を取ると、滾りに染まる陰茎を自身の手に握らせる。どろりと濁る意識では自分が何をするのかも理解していないようで、性器に指が絡みつくが早いか伯爵は其れを激しく掻きだしていた。
あの謎めいた雰囲気を漂わせる男が、気が触れたが如く自らのペニスを掻いている。よもやこんな姿を目の当たりに出来るとは全く予想だにしていなかったろうフェルナンは、淫猥で猥雑でしかし恐ろしいほども淫靡な様を晒す伯爵を暫し惚けたように眺めていた。口元がだらしなく緩み、彼は堪え切れぬとばかりに厭らしく潜めた笑いを少しの間おさめられずにいた。
限界は本当に直ぐ其処へとやってきていたのだろう。伯爵は己の手で陰茎を刺激し、瞬く間に全てを吐き出した。
「ぅぁあぁあぁ…、あっ、んっ、あぅあぁあ…。」
最前よりもっとガタガタと震え、これ以上ないくらい全身を強張らせ、呻く声を二度ばかり漏らしたのち精液を周囲へまき散らし、直後に悲鳴とも聞こえる細い嬌声を発したのが終わりの印であった。ゆっくりと崩れていく肢体を、しかしフェルナンは抱き留めるでもなく見つめていた。動かなくなった相手の髪の一房を手に取り、軽く唇を当てると彼は迷いもなく席を離れた。戸口まで歩き、何かを思いだしたのか長椅子に戻り弛緩した躯から抜き忘れた器具を取り去った。その時、伯爵が微かに呻いたのだがフェルナンは気づかなかったらしい。
結局、薄物一枚を置き去りにする相手に掛け、彼は振り返り得もせず扉から出ていった。廊下に控える屋敷付きの従者にフェルナンは別の部屋を所望し、溜まった欲のはけ口を一人申しつけた。
馬車に乗り込んで来た主は押し黙ったまま腰を下ろし、他者を寄せ付けぬ厳しさを張り巡らしていたため、流石のバティスタンも軽口を叩けずにいた。チラチラと盗み見た横顔には疲労より疲弊に近い翳りがあり、時折深い嘆息を口の端から零すばかりであった。屋敷へ戻るなり、漸く口を開いたと思えば一言の労いを残し私室へ続く廊下へと消えて行き、一瞬あとを追おうとしたバティスタンは其れを許さぬ主の背に気づきその場で立ちつくした。
耳の奥が痺れる静寂がたれ込める廊下を進みつつ、伯爵はこのまま泥のように眠ってしまえればと埒のない事を思う。けれどあり得ない望みを浮かべた己に気づき、薄い自嘲の笑みを浮かべた。地階へ足を運ばなかったのは、其処に在る者と顔を会わせたくなかったからだ。真の高貴を身につけた少女に今宵の姿を晒したくなかった。
私室に戻り、強い酒精で誤魔化すつもりを決め、酷く気怠い躯を持て余しながら長い廊下を行った。薄闇は数歩先をも閉ざしているらしく、しかも伯爵は其処に立つ者の気配を微塵も察しておらず、だから私室の前にその男の姿をみとめた刹那、思わず足を止めてしまった。
「何をしている。」
抑揚を持たぬ問いが投げられる。が、家礼は何も答えずにいた。数歩の距離を縮め、ベルッチオの前に立つと伯爵はもう一度同じ言葉を向けた。
「こんな処で何をしている。」
しかし同様に家礼からは何も戻らない。
「其処を退け。」
焦れた命が飛んだ。
「無礼をお許しください。」
言い終わらぬうちに、伸べた二本の腕が伯爵を胸に抱き寄せる。
「ベルッチオ!」
離せ!と続ける筈だった。ところが其れは音にはならず、緩い溜息に変わった。
背に廻った腕が柔らかく抱き締め、片手が動いたと思う間もなく、伯爵は優しげに髪を撫でられた。まるで子供にするかの行為に、だが不思議と怒りは覚えず、逆に入りすぎた肩の力がゆるゆると抜けていくのを感じる。全く不本意だと胸中で苦言を垂れながら、伯爵は眼前の肩に頭を預けた。
「罰は、甘んじて受けます。」
しかし伯爵から言葉はなく、其れがいらえなのかは判ぜられなかったが、躯の横に下ろしていた腕が怖ず怖ずと家礼の背に廻された。
「朝までご一緒する事をお許しくださいますか?」
薄く開いた口唇から細い吐息が零れた。ベルッチオは伯爵の指先が自分の上着を握りしめるのを知り、ホッとしたように口元を緩めた。
「有り難うございます。」
密やかに述べた礼は、暫し伯爵の耳元に留まって間もなく無音の空間へと飲まれていった。
終