The House of the Rising Sun

リチャード・ラッセル
37歳(くらい)
身長182cm
髪:アッシュブロンド
目:ブルーグレイ
職業:運送業

グレッグ・バーンズ
58歳(くらい)
身長192cm
髪:オフブラック
目:濃灰色
職業:刑事(分署刑事分隊長→警部補)



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 リチャード・ラッセルは退屈しきっていた。
確かに客室は二等でもゆったりとした造りだし、各部屋には20ではくだらない娯楽チャンネルを有する受像モニタが完備し、上階層まで脚を伸ばしたなら、時間を潰すには最適なシアターもショッピングセンターも回りきれない飲食店街も、更にはクアハウスやらカジノやら待ち合わせとか商談にも使用可能なフリースペース、もちろんスポーツジムもあればプールもあって、一汗かいた後に一杯ひっかけ、飯でも食って腹を落ち着けてから、気の利いた映画を見るのも造作のないことなのだ。
 しかし片道2週間の行路でほとんどやりつくしてしまった今、帰路の2週間が始まったばかりの時点で、すでに思いつく娯楽が底をついていたのが現状だった。
 ラッセルは取りあえずソファに腰を降ろし、眼前のモニタを点けて、手元のチャンネルセレクタで番組をひっきりなしに変更してみた。が、どれにもそそられない。それどころか欠伸が出てくる。
 仕方なしにモニタを落とし、テーブルに置かれる情報端末のパッドを手に取った。A4サイズのパッドは、これまでほとんど使ったことがない。行路では必要がなかった。娯楽施設をどんどん利用する方に興味があったからだ。
 ほぼ初めてのぞき込むパッドのメニューには、この船の施設案内や、部屋から出ることなく利用できる様々なサービスの目録が並ぶ。
 まずは施設案内を呼び出した。
「すげぇな…。」
無意識に声が漏れたのは、もう出向く場所などないだろうと勝手に思い込んでいた彼が、一度も足を運んでいないエリアや施設が、未だたんまりと存在している所為だった。
 常時開いている施設だけでも50近くある。『要予約』の前置きはあるにせよ、退屈した乗客に話し相手を斡旋し、数時間を過ごせるサービスもあった。
 朝から昼まで、昼から夕刻、そして夜にだけ開かれている場所など、数えるのも嫌なるほどだ。
「至れり尽くせりってワケかよ。」
ずらりと並ぶ施設の名前と簡易解説を眺め、ラッセルはもそりと呟き湿ったため息を吐いた。
 退屈はしていたが、わざわざ予約までして赤の他人と与太話にふける気にはならない。カウンセラーを受けるつもりもない。カルチャースクールも同じ。
「数打ちゃ当たるってほど甘くねぇな。」
呆れた声音で単語をならべ、薄く笑った。
「ん?」
指で弾きスクロールさせていたメニューを止める。
「アナログか…。」
視線が一点に留まる。
「懐古趣味じゃないけどな…。」
誰も聞いていない。けれど妙な気恥ずかしさから言い訳めいた一言をこぼす。
 彼が興味を惹かれたのは、メニューの中程に埋もれる『ライブラリー』の文字だった。
 ラッセルが生まれた頃、すでに書物はすべてデジタル化が完了していた。紙面に並ぶ文字を見たことがない。目をとめた施設。『ライブラリー』の解説には『充実したアナログ書庫。嘗てのライブラリーを再現。』とある。
「行ってみるか。」
パッドから行き先のデータを自前の端末に転送。マップを呼び出し簡単に情報を確認。低圧クッションのソファから腰を上げる。その際、背もたれに投げ置いてあった革のジャケットを取り羽織った。
 ものは良いが少々くたびれた感のある袖に腕を通しつつ、内廊下を出口へ歩く。ドアの開放コードを携帯端末から送り解錠。圧縮空気の微音を引きずり、ドアがゆるりとスライドしかけたその時、今まで聞いたことのないノイズが周り中に鳴り響いた。
 背後のリビングから音声ガイドが呼びかける。
『緊急アラームです。お近くのモニタで状況を確認してください。』
『緊急アラームです。共有エリアにおいでの方は迅速にお部屋へお戻りください。』
『緊急アラームです。共有エリアからお部屋までが遠い方は付近のスタッフの指示に従ってください。』
尋常ではない。ラッセルは開き掛けのドアを閉じ、モニタのあるリビングへとって返した。
 すぐさまモニタを点ける。それまで娯楽チャンネルに設定されていた筈が、船内のインフォメーションに固定されている。
『お客様にお知らせします。』
人に悉く似せて造られたガイドノイドが、恐ろしく人に近い音声で喋り始めた。
『船内にて事故が発生しました。現在は保安員が処理に当たっております。完了するまでお部屋から公共及び共有エリアへはお出になれません。』
「事故だって?」
思わず発したそれが聞こえていたように、インフォメーションが続ける。
『作業エリアにて事故が発生いたしました。この事故による当船の航行、船内の環境保持及びセキュリティへの影響はございません。事故処理と現場復旧の為、一時的にお客様の活動エリアを制限させていただきます。』
「どんな事故だよ。」
苦笑したのは、どうやら大事ではないらしいと知ったからだ。
『制限の解除まで、ご不便をおかけします。処理が終了しだい、制限解除をお知らせいたします。』
「ライブラリーはお預けかよ…。」
失笑の形に口の端をゆるめたラッセルは、諦めたとばかりにソファへ腰を降ろした。
 いったんガイドノイドが消え、場つなぎに意味のない映像が流れ始めたモニタを、ラッセルは所在なげに眺めていた。画面の上部には幾つもの言語で現状を知らせる文字が横に流れ続ける。
 再び、退屈が戻ってきた。欠伸が出る。顎を盛大に動かし、大きく伸びをしながら欠伸した。
「参ったな…。」
せっかく暇つぶしを見つけた途端のお預けだ。残念さもひとしおと言った感がある。しかもモニタも情報パッドも唯一のチャンネルに固定されたままだ。
 思いつくことといえば、何か呑んで寝てしまうくらいしかない。だが10日以上の航行を考えると、初手から生活時間の配分を狂わせるのは勘弁だ。
「こりゃ、お手上げだ。」
為す術の無さを実感し、もう一度両腕を持ち上げて意味のない伸びをしようと身体を動かした。
『リチャード・ラッセル様はお見えになりますか?』
来訪を告げるドアチャイムと同時に、訪問者からの問いかけが壁に埋め込まれるスピーカーから流れでた。
 弾かれたかに立ち上がる。大股で出口へ。今し方と同様に解錠は移動しながら行った。スライドドアの前に立つのと、目の前の薄いブルーのドア板が横に滑るのは同時だ。違和感にラッセルの片眉が上がる。疑問を抱いた際の癖だ。
 共有通路との隔たりが失せる。男が三人横並びに立っていた。
「まだ、ドア開けても構わないって言ってねぇけど?」
相手が不明な場合、若干だが攻撃的な物言いになるのも癖だった。
「申し訳ございません。」
真ん中の、見るからに客室スタッフであろう男が頭を下げる。左右に立つのは作業スタッフかもしれない。いかにもな作業用ジャケットを身につけている。ねずみ色がかった青の上っ張りだ。
「先ほどの事故処理にご協力を戴きたく、お願いに参りました。」
頭を持ち上げ客室係が乞う。プレスの良く聞いた黒の上下を着て、願い上げる意思を眼差しに込めてラッセルを見つめた。
「協力?」
「はい、ご意見を伺いたいのです。」
「意見?」
「ご同行いただき、事故の詳細をお話したのち、ラッセル様のご意見を戴きたく存じます。」
「ご意見…って言われてもなぁ。」
言いながらさりげなく通路の様子を探る。係員がお願いを申し上げに来ているのは、ラッセル以外にはいないようだ。両隣に人の気配がない。
「なんでオレなんだ?」
「それは…。」
相手が言い淀む。それで彼はピンときた。
「まぁ、やることねぇしなぁ。」
「ご協力願えますか?」
「あぁ。」
出かけるつもりだったのだから、特に身支度を調える必要もない。
 リチャード・ラッセルは降って湧いた緊急事態を暇つぶしの一つに当てる程度の気安さで、三人の男に促されるまま、外出制限のせいで静まりかえった船内通路を、行き先も知らぬまま歩いて行った。



 火星移民が完了して大凡200年。火星に居住可能なエリアを確保すると発表されたのは、それより80年ほど遡る。人の一生と同じだけの年数をかけ、人類は地球外へと移住していった。
 小説や映画に描かれる、天変地異やら宇宙からの巨大隕石によって、地球上に人が住めなくなった為の移民計画ではなく、飽和し疲弊した世界経済の救済措置として、各国の合意のもと、所謂新天地への移民が計画された。
 移住希望者は公募の始まった当初は微々たるもので、更には幾つもの条件をクリアしなければ選抜されないシステムにより、爆発的な人数が火星に押し寄せることもなかった。
 火星の保有する地下資源開発事業に参加する者を除けば、住み慣れた場所を離れたがる人間など、少ないに違いない。
 それでも年月と移民局の垂れ流す理想的な居住の映像が功を奏し、徐々にだが人は地べたから遠隔地への移住を決めていった。
 都市計画も第1世代の移民から大幅に希望を取り入れたお陰で、地上の都市部よりずっとノスタルジックな町並みが構築され、その景観に心を動かされた者も少なくないはずだった。
 居住区がエアドームに囲われており、いくつも点在するドーム間の行き来は鉄道とパイプ状のドライブウェイを利用する以外になく、それ故に各ドームには厳重な入出のセキュリティが設置可能となって、予想外に良質な治安を確保できるに至り、第3世代の頃になると、条件に見合うならば移住するが吉といった風潮まで生まれた。
 新天地で子を成し、財を得て、それを次に受け渡した者は、全てとは言わないが、郷里へと戻りたがる。第2世代以降、現役から離れた者たちが、地球への帰還を願った場合、入れ替わりに移住を望む者があった時にのみ、それは受け入れられる仕組みとなる。
 一族郎党で移住していなければ、地上に地所を守る人間がおり、その場合は親族、友人などに火星の住居を譲り、帰還することが出来る。
 郷里へ戻りたい願望から生まれたこの仕組みは、人口の固定や次世代の減少、老齢層の飽和を防ぐ妙案とされ、移民局が迅速にシステムを完成させた。
 火星で生を受けた者らが全人口の大半を占める状況となっても、リターン組の数は減らず、何故か帰還を望む人数が一定数を割らないのは謎である。それが人の本能によるものかは、未だ多数の生物学者が研究を続けても解明されていない。
 本来の在るべき場所へ惹かれる本能が全ての根源なのかもしれない。けれど成功者は地上へ戻るとする、後発的に派生した常識が広まった為であるのも、あながち否定出来ない事実である。
 こうして人は地球と火星の二つを手に入れた。現在、憂うべき問題は発生していない。細々とした課題は確かにある。しかしそれらも、何らかの形で解決される筈なのであった。



 客室の並ぶ通路から、途中で関係者専用のドアを何度かくぐり、すっかり方向感覚がおかしくなったところで、目的の場所に到着する。ラッセルは多層構造の船内を上がったり下がったりしながら、3度目のスタッフ通路に入った辺りまではなんとか自分のいる場所を把握しているつもりでいた。が、その後ふたたび同じデザインの扉と通路をのぼったり降りたりした頃には、何所がどこやらサッパリになっていた。
 立ち止まった先導担当の客室係が、さっきと同じに丁寧な仕草で頭を下げ、鈍黄色のドアを開けてこう言った。
「こちらで少々お待ちくださいませ。」
「ここは?」
「通常はお客様がご使用になるフリースペースでございます。」
「あぁ、商談とかする?」
「そのようにご利用頂く場合もございます。」
「ここで待ってればイイんだな?」
「さようでございます。」
黒服の男は相変わらずの慇懃さでラッセルを中に招き、二つある独りがけのソファの一つへ腰掛けるよう促した。
「別の者がお飲み物をお持ちいたします。」
何が飲みたいか?と目線がラッセルに訊く。一瞬アルコールの類を頭に浮かべるが、すぐさま引っ込めた。
「炭酸のやつ。水に炭酸が入ってる、あの…。」
「畏まりました。」
客が了いまで言うのを待たず、すっかり了承した係は一礼して外に出る。
 一緒にここまで同行してきた作業員風も、残ることなく黒服と同じく部屋を出て行った。居心地の悪さに畏まって座ること5分余り。今し方の注文を運ぶ、別の係員が訪れる。
「どんな事故だったか、あんた知ってるか?」
気さくにラッセルが話しかけるも、係は曖昧な笑いを浮かべるばかりで口を開かない。言うなと釘を刺されているのか、実はこの係も詳細を知らされていないのか、それすら探れないまま、件の係員はそそくさと退出して行く。
 概略すら教えられずに時間をやり過ごす羽目になったラッセルが、うんざりとした心持ちになり、協力など引き受けなければ良かったと、自責の念に駆られ始めたのを見透かしていたかに、入室を確認するブザーが鳴った。
 応えるより早くドアが開く。入って来たのは、最前の係ではなく、初対面に間違いない大柄な男だった。
 体格から想像する通りの足運びで、男はラッセルの向かいに腰を降ろす。挨拶はない。自己紹介もなかった。服装と無礼な態度から、この男が接客担当ではないとわかる。
 座った途端、男は遠慮なくラッセルを凝視した。品定めでもする眼差しだ。流石に黙っているのも馬鹿らしくなり、ラッセルが口を開いた。
「あんたも協力するって言っちまったのか?」
当りを付けそう訊いた。じろりと目線が捉える。にこりともしない。眉をひそめた面相は、腹でも立てているのかと疑いたくなる。
「そうだ。」
一拍おいてから体格にピッタリの声が応えた。
「事故ってのが何だかは知ってんのか?」
返事をする気はあると踏んで、ラッセルが問いを続けた。
「ああ、今まで現場に居たからな。」
「オレは一切聞いてないぜ?」
「こっちは仕事柄かり出されちまったんだ。」
「セキュリティサービスか?」
歳は喰っているが、がっしりとした体躯の男だ。半分くらいは当たっているだろうと、冗談めかして問うた応えは、残念ながら違っていた。
「刑事だよ。」
「へ?」
「現役の刑事なんだよ。」
まるで刑事であるのを嫌がるような言い様だった。
 そう言われればそうなのだろう。疑う余地はなかった。
「星間航行船ってのは刑事まで雇って…。」
言いかけてやめる。この男は最初に『かり出された』と言っていた。
「たまたま乗り合わせたんだ。」
「そーゆーことってのは解る。けどよ、オレは何でこんなトコに連れてこられてんだ?」
「お前さんがレジストラントだからだよ。」
「そこかよ…。」
薄々は感づいていた。でも、はっきり言葉にされれば落胆は隠せない。ぼそりと発したそれからは、明らかに心中がにじみ出ていた。



 火星に於けるテラフォーミングは散々模索した末、今の形に落ち着いた。軌道上に巨大ミラーを建造して、太陽の光を両極に当てる案は最後まで検討され、何度も実地検証が行われた。でも思った効果は得られなかった。極の氷が溶け気温上昇を促し、大気中の二酸化炭素と水蒸気によって、更に大気の温度が上昇する筈だった。が、予想値には至らず、結局のところエアドームを幾つも建てた。
 巨大な覆いの内側なら理想に近い環境が作り出せ、それを維持するのも容易い。だからエアドームは正解だったわけだ。最後まで決着のつかなかった重力の問題も、ドーム内に電磁向心力を利用した人工重力を発生させる案が採用されると、残りは微々たる課題だけになった。
 火星の居住区は最初期に描かれた青図とはずいぶんと異なる形になった。現存する最古の資料によれば、星一つを巨大な鏡状の板で覆って、どこもかしこも地球と同じ環境を整備するつもりだったらしい。
 可能と不可能を子細に検討し、気の遠くなる実験と金を投じた結果が、惑星の地表にいくつも点在する丸みを帯びたドームになったのだから、最終的に異議を申し立てる者など在りはしなかったのだ。
 これだけ地上に近い環境を構築したのだ。移住した人々に不安はない。けれど世代が進み、丁度第3世代が誕生する頃に、それまで全く予想しなかった事象が発生した。
 その数が余りに少なく、確認された事象自体が殊更に危機感を覚えるほどではなかった所為で、発生当初は誰しもが気にとめなかった。しかし数が右肩上がりに増加する。漸く管理局が動いたのは恐ろしく時間が経過してからだった。
 火星で誕生した両親から産まれた子供に、特異体質が認められたのだ。原因は未だ不明。何がどう作用するのか、その発生確率すら解明されていない。
 出産直後に確認される場合もあり、数年、或いは十数年経過してから突如変化が現れる場合もある。
 個体によって特異もまちまち。極端に筋力が勝る者。視覚が恐ろしく発達する者。嗅覚、聴覚だったり、時には思考力の極端な優良もある。
 通常より劣る場合が皆無だった。だからあまり問題視されずにいた。それでも例えば初等教育に於いて、全生徒に数名存在する、この特異な子供らを放置するのは得策ではないと世論が訴えた。
 マイノリティとして受け入れ、通常は特別な措置を施さない。但し、彼らがそうした特異性を持つのだと、指導者側が了承する。
 そのため、特異性を保持する子供は保護者がそれを管理へ申請することが義務づけられた。これは現在でも変らない。出生の際、医師が検査し親に告げるよう、指導されている。
 申請すれば『Singular』と登録される。この登録された者は『Registrant』と呼ばれている。



 レジストラント(登録者)に対して、第三者の見せる態度は様々だ。敢えて気にしないふりをする。言葉を選び妙な気を使う。逆に興味丸出しで接する。大きく分ければこの三つが一番多い。
 自己紹介すらしない、この刑事と名乗る男は、それを単なる事実として捉えているようだった。
「で、オレが登録してると何か役にたつってのか?」
「立つかもしれん、立たないかもしれん…な。」
男はいっとき黙り込んだ。事の次第を頭の中でまとめている風だ。そんな顔つきをして押し黙ること三分弱。
「キャトルミューティレーションってのを知ってるか?」
「はぁ?」
いよいよこれで詳細を知ることが出来る。ラッセルは若干だが身構えていた。ところが男が吐き出したのは、さっぱり意味の解らない単語だった。
「キャトル…なんだって?」
「知らんならいい。」
ラッセルは短気ではない。喧嘩っ早い方でもなかった。でも教会の牧師ほど穏やかではないので、この辺りが我慢の限界だった。
 ガタッと鳴ったのは椅子だ。立ち上がったのはラッセルだ。
「ちょっと待て!」
「どうした?」
しかし男はいたって冷静だった。
「あんた、何様のつもりだ?」
男はきょとんとしている。
「こっちはどうせ洗い座洗い調べられてんだろうが、オレはあんたの名前も知らねぇ。事件だか事故だか、なんでここであんたと面付き合わせてるのかも解らねぇ。」
急にまくし立てられ、男は更に不思議そうな面相になる。
「挨拶もなし、説明もなし、挙げ句に何かの呪文みたいなコトを言われて、そいつを知らないと言やぁ、それっきりだ。」
捲し立てたラッセルが、半瞬をおく。最も言いたかった部分を吐き出すため、一呼吸の間合いが必要だったらしい。
「こっちは協力してやろうって腹で…。」
了いまで言い切る前に、モソリと男が呟いた。
「すまん。」
「なにが『すまん。』だ。」
「いや、あんな死体(ほとけ)を拝んだのは初めてでな。どうしたらああ成るのか考えてた。考え出すとそっちにばかり気が行って…。」
もう一度、男はラッセルに向け非常に済まなそうな顔で、悪かったと言った。
 ギシリと椅子が鳴る。ラッセルが腰を降ろした音だ。
「グレッグ・バーンズだ。」
座った途端、名乗りながら男が手を差し伸べてきた。
「ラッセル。リチャード・ラッセルだ。」
手を取り、改めて名乗る。どうせ知ってるだろうが…と付け加えようかと思うが、それは止めておいた。
 向き合い、お互いが名乗って、ちょっとした騒ぎは治まった。
「説明してくれよ。」
「そうだ…な。」
濃茶色の背広の内ポケットから、バーンズは小振りのパッドを取り出す。無骨な指が画面をなぞり、恐らく現場で簡単に聴取したのだろうメモを呼び出す。
「殺人(ころし)だ。」
「え?」
「乗務員が殺された。」
「どこで?」
「下層の乗務員エリアだ。」
漸く語られる事の真相の続きを、ラッセルは固唾を呑んで待った。



 最初にその哀れな女を見つけたのは、清掃作業員だった。この巨大な星間航行船は、従業員専用部分を含む、各階層のエリアを細かく分け、担当ごとに清掃員が作業にあたる仕組みだ。
 この外れ籤を引き当てた清掃員、ハリスと言う20代の男は、火星に合わせた船内時間の早朝から午前10時までを使って、従業員の居室を掃除して回っていた。
 作業はいたって単純なものだ。担当区域に清掃用ロボットを放っておけば良い。広さに合わせ、規定数のそれらを起動させ、終了のコールを待っているのが彼の仕事だ。
 一応は見回りをする。まさか機械がさぼっているわけではないが、希に不具合が起き、壁の1箇所を延々擦り続ける個体があったりする所為だ。
 途中で何らかの異常、大概は従業員の誰かが持ち物を落としていて、それを見つけたロボットがアラームを鳴らしてくる程度だが、そんな場合は担当員が足を運び、その異常を何とかしてやる必要があった。
 今朝はそうしたトラブルもなく、終了のコールが予定通りハリスの携帯端末から聞こえた。彼は手順通り、全ての機械へドックへ戻るよう指示を出す。
 ドックは用具置き場の名称だ。端末から指示されると、散らばっていたロボットは、一目散に指定のねぐらへ帰る。全部が戻っているかをハリスは最後に確認し、端末から作業の終わりを報告する。それで全て完了になる筈だった。
 作業機械から次々と終了のコールを受け取り、ハリスはドックへ最終点検に向かう。彼が連中の働きぶりを一回りしたあと、終わりを待っていたのは最下層から数えて三つ目、第三層の作業員詰め所だった。ドックはそのすぐ下の階層にある。スタッフ専用エレベータを使うと、到着するまでに5分くらいかかる距離だ。
 詰め所からエレベータへ歩いている時、突如アラームが鳴った。しかも次々とだ。ハリスがそこに到着するまでの、たった5分の間に起動していたロボット全部が異常を知らせてきた。
 なにごとだ?と首をひねる。第二層に降りると、知らず彼は走っていた。開け放ったドアから数機が通路に出ているのが見える。円筒形に数本のアームを付けた機械が、ドアの周りで不規則に動いている。脚部のローラーが回転するキリキリと言う音が、それ以外の音を持たない空間に響いていた。
 確かに異常事態だ。数メートルを一気に駆け、ドックの中に飛び込む。室内も同じに、指定場所で作業を終了できないロボットたちが無節操に動き回っていた。壁に並ぶ箱状の機器。ロボットはここに本体の一部を接合させて充電体勢に入る。その際に起動停止する。それが出来ず、機械は所在なげにうろついていたのだ。
 その静かな喧噪の原因がハリスの目に映った。女が倒れている。制服に見覚えがあった。上層階のショッピングモールで、客の案内にあたるインフォメーション担当の服だ。薄い青とすみれ色が混じった色味のスーツ。上着の丈が短く、スカートは身体の線がわかるタイトな膝丈。顔なじみの従業員が、古くさいデザインで嫌だとこぼしているのを聞いたことがある。
 モール内の区域により、スーツの色は幾つかあったはずだ。彼の顔見知りは淡い黄身色のを着ていた。倒れている女が、どこの区域を担当しているのかは知らない。この色味の制服に知り合いはいなかった。パッと見て、ハリスに理解できたのは、彼女が客ではないと言うくらいだった。
 恐る恐る近寄る。白みがかった室内灯に照らされる女を、上からのぞき込んだ。仰向けに倒れている。両目は見開いていた。天井へ向けているはずの視線に意志が感じられない。何も見えていない気がした。そう気づいた瞬間、ハリスの全身を震えが走った。
 結論は素早くやってきた。接客担当が凡そ居るとは思えない場所。そこで目を瞠ったまま倒れている女。白っぽい室内灯の為でなく、血の気を逸し青白く変わった肌の色。八割以上の確率で彼女は死んでいる。
 思考が停止していたのが、どれくらいの時間かハリスには判じられない。我に返ったのは、野太い叫び声が部屋中に響きわたっていたからで、それを発しているのが自分だと理解したからだった。
 何をすべきか…と自問する。ゆるゆると思考が動き出す。報告だと閃いた。個々に渡される職員用の端末を取り出す。それは常に作業着のポケットに入れてある。意識しない時は簡単な動作だ。手を突っ込んでそれをつまみ出すだけ。でも指先までが痺れたように震えていて、ハリスはその慣れた動きを何度も失敗した。
 清掃員の責任者を呼び出して、女が死んでいると伝える。責任者は二度ばかり聞き返した。
「だから死んでるんだ。」
「誰が?」
「知らない。女だ。モールの案内をしてる。」
「君の言う意味が解らないのだが?」
「とにかく来てくれ!」
ハリスは自分の今いる場所を叫ぶように幾度も繰り返した。



 一通りを話終えると、バーンズはほっとした面相になった。他人に状況を語る際、自身の内側でもなにがしかの整理が出来たのだろう。
「で、その女が死んだのは事故なのか?」
ラッセルが核心をついた。
「十中八九、事件だろう。」
「じゃぁ、偶発的に死んじまったんじゃなく、殺されたってことか?」
「掃除用具をしまう部屋に居たら、どっかから刃物が飛んできて、胸の真ん中に偶然刺さったなら、事故だな。」
「刺されて死んでたのか?」
「誰かが刺したのか、偶然飛んで来たのかは、これから調べる。」
「なぁ…。」
「なんだ?」
「あんた、何年くらい刑事やってんだ?」
「18で巡査になって4年で昇進試験に受かったから、30年以上これでメシを食ってる。」
「ベテランの刑事さんは、刃物が偶然どっかから飛んで来ることもあるって、マジで考えておいでなわけかい?」
「揶揄うな。」
ムスリとした言いよう。顔つきも不機嫌さそのものに変わる。
「確定するまでは、殺人(ころし)なのか違うのかを決め付けないことにしてんだ、俺は。」
「だって、そんな事ありえないだろ?」
バーンズの返しが一拍遅れる。そして少々声を落として応える。
「だから、お前さんに協力を頼んだんだ。」
今度はラッセルが解せない顔になる。だが、浮ついた言動から予想するより、この男は少しだけ勘がよかった。
「オレらみたいな連中の中に、空中から出した刃物で女を殺せるような芸当が出来るヤツが居るかもしれないって話か?」
「そこまで具体的じゃない。可能性があるかもしれん…てことだ。」
「オレはできなぜ?」
ニヤニヤと笑いラッセルがバーンズの難しい顔を見た。
「お前さんだと確信したら、真っ先にしょっぴいてる。」
元が厳しい顔つきなせいで、バーンズが笑うと苦笑いにしか見えなかった。
 現状ではっきりしている部分を話終えると、バーンズは現場に行ってみるか?と訊いた。第一発見者の若造は、彼が現場に呼び出された時は使い物にならず、直接事情を聴取していない。
「そろそろ話くらい出来てもらわんと困る。」
「オレも行くのか?」
「一応、見てくれ。」
「そんで参考意見を言えばイイってわけか。」
「何かわかればだが…な。」
自分に言い聞かせる風な言い回しを聞き、ラッセルは面倒ごとに巻き込まれた予感がした。
 現場まで連れ立って移動する。また嫌になるくらい、昇ったり降りたりを繰り返すのかと、ラッセルは辟易とした心持ちになる。しかし今度は違った。バーンズはさっさと職員専用エレベータへ向い、それに乗って一気に下降。降りた先の通路は気持ちの良い一本道。何ら迷うことなく事故、或いは事件の現場へとたどり着いた。
「さっきの部屋までは、エライ面倒な行き方したぜ?上がったり下がったりで何処通ったか覚えきれなかった。」
用具置き場の前でラッセルが文句めいたセリフを吐いた。
「だれが面倒な行き方をお前さんに教えたんだ?」
「この船の従業員に連れ回されたんだ。」
バーンズはふむ…と息を漏らす音で応える。その話題に興味がないのかとラッセルは訝るが、実は現場のドア前に陣取る二人の男に示す身分証を探していたらしい。
 背広の内側、それから外側のポケットを、そしてやっと思い出した顔になって、スラックスの尻ポケットからカードを取り出した。
「第一発見者は?」
カードを右側に立つ男に差しだしたずねる。相手は手にする端末のスロットへ受け取ったそれを滑らせ、モニタの表示を確認してから、ぶっきらぼうな返事を一言。
「医務室にいます。どんな様子からそっちに聞かないと…。」
頷き、入出の確認をするバーンズ。男は無言で首を縦に振った。
 やりとりを眺めていたラッセルは頭の片隅にあった靄が晴れるのを感じる。門番よろしく突っ立っている二人に見覚えがあった。小一時間前、協力要請にやってきた黒服と一緒にいた二人組だ。顔はまったく記憶にない。が、背格好と着ていた上っ張りの色、もう一つ厳めしい匂いに覚えがあった。
 スライドするドアをくぐり室内へ踏み込む折り、ラッセルがバーンズの耳元に囁いた。
「今、あんたが話してたのは?」
「警備だ。」
「なるほどな。」
「なにが?」
「さっきオレを引っ張り回したのは、あいつらだ。」
殺風景な部屋に入ると、後ろでドアが閉まる。
「客にスタッフ通路を詳しく知られたくなかったんだろう。」
通路へ音が漏れない状況になった途端、バーンズが声も潜めず種を明かした。
 用具置き場は実に整然としている。あるべき物があるべき場所にきっちりと納まっており、何がどこに置かれているかが、ぐるりと見回しただけで、全部把握できる造りになっている。
 ただ一つ、部屋の真ん中からすこし奥に寄ったところに、黒っぽいシートにくるまった塊が放置されていた。まったく似つかわしくない。さっさと退けた方が賢明だ。一見して、誰もがそんな意見を述べるだろう代物が、主役然と鎮座している。
 バーンズはゆっくりと塊に近づく。しゃがみ込み、シートに手を掛け引きはがそうとして動きを止めた。
「死体(ほとけ)見るのは初めてか?」
突っ立ったままのラッセルを見上げて訊いた。
「こーゆーのはお初だなぁ。」
「ダメだったらすぐ言ってくれ。」
「なにを?」
「ここで腹の中身をぶちまけられると、俺が困る。」
そう言うことなら、恐らく大丈夫だとラッセルは普通の声音で普通に言った。



 バーンズの懸念は杞憂に終わる。ラッセルは悲鳴も上げず、震え上がりもせず、口を押さえて部屋から飛び出しもしなかった。
 黒いシートの下にあったそれは、ただ床に横たわる女でしかなかった。グロテスクでもなく、目を覆う凄惨さも持ち合わせていない。ここが用具置き場で、寝転がるそこが味気ない床でなかったなら、ただ気を失って倒れているとしか思えなかった。
 慣れた手つきでバーンズが女の着ているブラウスのボタンを外す。オフホワイトの、ペラペラした生地を無骨な指が大きく寛げた。白い肌が現れる。まだ若い女の素肌だ。
「ちょっと待てよ。」
上からのぞき込んでいたラッセルが素っ頓狂な声を漏らす。
「どうした?」
「この女、刺されて死んだんだろ?」
「あぁ。」
「死因とかわかってんのか?」
「ここで検死は無理だ。」
「そう言うこっちゃなくて、見ただけで分かるコトはあるだろ?」
「…と言うと?」
「だから、刺されたのが腹だとか、胸だとか、それで血が出すぎて死んだとか、刺された後に首絞められたとか…。」
ラッセルを無視するかに、バーンズは止めた手を動かす。指が肌の1箇所、二つの乳房の間を示した。
「ここを刃物で一突きされたらしいな。」
腰を折り、ラッセルはその部分に顔を寄せる。
「可笑しくないか?」
「なにが?」
「こいつ、どっからも血が出てねぇよ…。」
バーンズはもそりと立ち上がる。振り返りラッセルと向き合った。言葉を発する前に口元が笑いの形にゆるむ。そしてこう言った。
「お前さんが察しの良いヤツでよかったよ。」
 床に置かれた女がただ寝ているか、気絶しているとしか見えなかった理由はそこだ。胸の中央を刺されている。傷を検証していないが、恐らくかなり深くまで刃の先は届いているに違いない。きっと心臓を鋭利な切っ先は傷つけているだろう。現状を見る限り、それが最も確実な死因に思えた。
 人間の一部、それは指でも膝でも足の小指でも、どこかしらを切ったり擦りむいたりすれば血が出てくる。そんなことは三歳の子供でも先刻承知だ。ならば、どうしてこの哀れな姿で、少しまくれ上がってしまったスカートの裾を直す術もなくしてしまった女からは、一滴の血も流れ出ていないのだろうか。
「何で血が出てないかわからん。そこいら辺のことは、俺の専門外だ。」
「じゃぁ、誰が調べるんだ?」
「そいつはこれから指示が来る。」
ポケットから引っ張り出した端末を見せ、バーンズは既にこの不可思議な状況が火星へ報告済であると告げた。
 彼に残された仕事は、現状を保持すること。責任者に床の上の女を、何所か然るべき場所へ保管させること。さっきは震え上がり、まともな受け答えもできなかった、第一発見者への事情聴取。そして端末へ寄越される、今後の指示を待つことだった。
「先ずは医務室へ行くか…。」
ドアへ向かうバーンズが続ける。
「お前さんも一緒に行って貰う。」
「良いのか?」
「あぁ、ここまで見せたんだ。もうこの件から降りるって言われても困る。」
「そりゃそうだ。」
「あとで一応だが、協力する時の決まり事をして貰うがな。」
「なんだ、それは?」
形式的だが、こうした場合の規則を聞かせ、それに同意した由を形に残すのだと、ベテラン刑事はもっともらしく言った。
 入って来た時と同じに、二人はスライドドアから通路に出る。警備はやはり扉の左右に陣取っていた。
 バーンズは先刻同様、片方の男に声を掛ける。
「ここには誰も入れないでくれ。」
了承を頷きで表す男。
「責任者にアレの保管場所をどうにかするよう伝えてもらおうか。」
「そっちはもう用意出来ています。」
「こっちからの指示待ちってことか?」
また男は首を縦に振った。そして保管する先は端末に知らせがある筈だと、付け加えた。
「医務室はどっちだね?」
バーンズが訊ねると、男は自分の端末を操作し、その場所へのマップを見せる。
「こっちに貰おう。」
データは瞬く間に転送された。
 現場保持に関しての幾つかを警備へ伝えると、バーンズはマップを確認しつつ歩き出した。もうラッセルが一緒に来るものと思っているのだろう。来いとも、行くぞとも言わない。それを察したのか、すこし遅れてラッセルは濃茶色の背を追った。
 乗客も乗務員も作業員も行動制限されている艦内は、嘘のように静まりかえり、二人の男の靴音ばかりが、ずっと消えずに響いていた。