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崖の上の田村麻呂

や、なんか崖の上の…に続くのって田村麻呂がしっくりくる気がしてw
さっきまでポニョ見てました。
うーん、あれ…オレには判らなかったよ。
てことで感想と言うよりも未消化の原因を並べてみた。
未消化すぎて自分でもまとまってないと思うので畳みます。


半人・半魚の少女が男の子を好きになって人間になろうとする話。
つーのがストーリーなのは判った。
全体的に悲壮感や危機感を排除して、童話的に話を組み立てて見せてる。
つーのも判った。(この童話的ってのも表現としては不適切だな…)
少年に代表される「やらなくてはいけないこと」が「誰かを護る」ことである。
つーテーマ的なものも判った。

判ったんだが、見終わった時の納得いかない感じと未消化な気持ち悪さはなんだ?
少年の父親の船に乗っていた眼鏡の船員以外、誰も自分のおかれた立場を理解していない非現実的言動のせいだろうか?
物語が後半(少年が船で海へ出る辺り)まで何も進展がないからだろうか?
起承転結が曖昧だからだろうか?
軸となる筈のキャラクターになんら存在意義を持たせていないせいだろうか?
パヤオ特有のメカが描かれていないからだろうか?
さまざまに鏤めてある筈のファクタにあるべき関連性を持たせなかっただろうか?

まぁ、数え上げればきりがないのだけども、一番気持ち悪かったのは…。
ポニョの幼児的行動が世界を破滅の危機に陥れ、それを解決する方法はポニョの力(魔法)を奪うことであると理解したポニョの父親と母親のやり取りからラストまでが、本当に気持ち悪かったんだよなぁ。
ポニョは既に力の臨界点を突破しているから、それを沈静化させるには魔力を奪う以外にないっつー結論に至ったとき、母親が当たり前の顔で「じゃぁ、人間にしてしまえば良い」て言うワケで。生涯不変の信頼を相手が確約しなかった時点でポニョは泡になる(消えて無に帰す)と反意を唱える父親に「だって泡から生まれたんだから、それも仕方ない」みたいなことを垂れ。
五歳の子供に誘導尋問的台詞を投げてまんまと確約を取り付けるてな流れは、どうにも納得がいかないつーか気持ち悪かったですよ。

まぁ、あの母親は母である以前に神的存在らしいから、その辺りの判断も間違ってはいないんだろうが、人間にして人間に押し付けるのが一番丸く収まるからそれにしましょうって理屈をどうやって少年の母親に説明して納得させたんだかが気になる。そこを描かなかったから綺麗にまとまってるっぽく見えるけど、あれは描くべきだろうと思うなぁ。

人の業の深さに辟易として人を捨てた父親をもっと効果的に使うと、今までの人間と自然の対立的な図式になるから、敢えてその辺を切り捨てたのかもしれんが、あのフジモト氏は没になったバックボーンも含めて非常に勿体ないキャラクターだと思いましたよ。
や、吉井和哉に似てるから贔屓してるんじゃないよ!(笑)

うーん、とりあえず感動はなかった。
逆に心配になった。
だってあの子たちの「好き」て幼児が「イチゴとアイスと●●ちゃん」が好きって言う「好き」でしょ? その未完成な感情を楯にして厄災の根元を押し付けるのはあまりにも非道すぎて、その後の展開に希望なんか見いだせないよ…;;;

キャラが可愛いだけでヒットするのかしら?
それだけじゃないと思いたいですけど…。

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