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bel papillon

たぶんコレで終わりになるハズです
いつまでバレン太やってんだよ!で申し訳ない;;
ベ様伯です〜

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 ここは治安の悪い町だと聞いていた。外面(そとづら)はいたって良い。観光で訪れた者には愛想よく振る舞う。でも少し表通りから薄暗がりへ踏み入ったり、メッキを施さない辺りを覗こうものなら、あっと言う間に手痛い目に合う。だから賑やかな通りを行くようにと、港の案内も繰り返しアナウンスしていた。
 モンテ・クリスト伯爵は常識を弁えた人間だ。さり気なく街の表の顔と付き合う分別を持ち合わせる。身の内に絶大なる力を宿していたとしても、無分別に危うい橋を渡るなどしない。もしも必要と判じなければ、裏路地の更に奥へと踏み入る真似はしなかったろう。
けれども今、この貴人は余所から物見遊山でやってきた人間なら到底入り込まないような、裏街の一画に居た。それは伯爵が必要だとしたからで、この街へ来た目的が自身と共に大儀を為すべき同胞を求めたからで、更にその相手が賑わう目抜き通りではなく、陽のあまり射さない裏町で生きる輩だったからだ。
 たった一度、その男の根城を訪ねた。正面から向き合い、共に来て欲しいと真摯に求め、未だ相手の返答を待っている為に、此処を離れず治安のよろしくない界隈へ足を運んでいる。本当は最初の時、男はきっぱりと伯爵の申し出を断っている。でも伯爵は諦めない。相手が是と言うまで辛抱強く待ち続けているのだ。他の誰かでは駄目だと信じる。それは確かな根拠に因るものではなく、曖昧な直感に従うような、しかし決して曲げられない決意だった。
 だからと言って男の根城へ日参するわけでなく、執拗に口説くなどせず、ただ距離をおいて眺めるだけで、特別な行動に出ることもしない。伯爵の宿す絶大な力を行使すれば、恐らく直ぐにでも相手を従わせられるだろうが、それでは意味がないと判っており、だから期が熟し男が自らの意思で共に来るその時を、静かに密やかに待っているのだ。伯爵は男を見つめる。ただひたすら、相手を二つの彩りに塗り分けられた眸に映すことに終始していた。男を目にする為、後を追い回すのかといえば、それは違った。必ず現れるだろう場所へ出向くことはあるが、其処で会えなかったら諦める。伯爵のスタンスはこれだった。だから全く姿を見られない日もある。或いはほんの一瞬、眺める時も珍しくない。時には全く無関係と思える場所が気になり、足を向けてみると絶妙なタイミングで顔を合わせる結果もあった。
 この日は全くの空振りで、男の根城に姿はなく、思いつく場所へ出かけてみたが尽く外していた。縁のある日もあれば、ない日もある。伯爵は焦るでもなく街を散策し、日暮れになる頃には自身の宿へ引き上げるつもりになっていた。ところが日のすっかり落ちる時分、伯爵はまだ町中にいた。しかも目抜き通りから随分入り込んだ裏通りにだ。思いつきのような、勘のような、兎に角入り組んだ細い路地の先に気持ちが引き寄せられ、迷う間もなく足を進めていた。行き着いた場所は予想より閑散としている。そして思ったより柄も悪くない。申し訳程度の布地を纏った立ちんぼも居ないし、ポン引きも見あたらない。懐を狙う小ずるいガキも居らず、難癖をつける破落戸も屯していなかった。ポツポツと灯りの点る店は貧相な酒場らしく、だからと言って質の悪い酔っぱらいが壁際でくだを巻く姿はない。忘れ去られた場所のようだった。
 光に魅せられた羽虫の如く、伯爵は灯る明かりの一つへと近づく。木枠の硝子窓は埃で曇り、店内はうすくぼやけて見える。覗けば酒場であるのは間違いない。正面に止まり木、数個のテーブル。バーテンが一人、客は居ない。いや、奥の壁際に一人だけ座る姿がある。影の中に埋もれ、見落としそうになった客に気づいた途端、伯爵は入り口のドアを押し開けていた。バーテンはチラと戸口を見るが無言。ところが唯一の客から声があがった。
「オイ!何であんたが来るんだ?!」
心底愕いた風な顔で、半ば腰を浮かせて男は伯爵を見ている。流れるように間近へ移動する。そして柔らかく笑う。
「これは…素晴らしい偶然でしょうか?」
「偶然だ?巫山戯てもらっちゃ困る。こんな場所まであんたが来るワケがねぇ。何処から付けてた?」
すると伯爵は実に心外だと表情を曇らせた。
「私が貴方をつける?そんな無礼な真似をするはずがありません。」
そして口調を強めて本当に偶然なのだとここまで来た経緯を簡単に語った。
「おいそれとは信じられんがな。だが偶にはそんな偶然が転がってても不思議じゃねぇってことか…。」
ベルッチオは苦く笑う。仕方ないといった風に口角を引き上げる顔は、年長が下の者へ向ける表情に近い。伯爵は変わらず穏やかな笑顔。だが少し何かを警戒している。
「突っ立ってないで座ったらどうだ?それとも入ってきたが、すぐに出ていく用事でもあるのか?」
ホッとした顔。出ていけと言われなかった事に伯爵は手放しで安堵していた。
「いいえ、用事も予定もございません。」
「そんなら付き合うか?」
「はい、喜んで…。」
確かに嬉しそうだ。ベルッチオはまるで自分が素晴らしい善行をした気分になる。直後、一緒に呑めと言っただけで、この貴人はどうしてこんな風に喜ぶんだと不思議な心持ちになった。




 伯爵が貧相な丸テーブルへ着く。椅子も同様のお粗末さだ。でもこの貴人が着座しただけで場末のバーの片隅に品格が生まれたように感じる。染みのついたクロスも気にならない。絶えず流れる流行りモノの楽曲もだ。ベルッチオはずっと退屈していた。話し相手がいたら有り難いと思っていた。気を紛らわせる相手なら、迷い込んできた野良犬でも良かった。それがどうだ?上等の賓客を迎えた気分だ。彼は少しだけ自分が浮かれているのを確信した。
「今日はどなたもご一緒ではない?」
向き合った伯爵の第一声はそれだった。言いながら周囲を確かめる仕草。どれだけ目を凝らしてもここには三人きりだ。ベルッチオと伯爵とつまらなそうにグラスを磨くバーテン。店の前にも、店の周りにも、ここへ繋がる路地の何処にも、普段なら在るはずのツラがなかった。
「正真正銘、俺一人だ。」
「お一人で居られるのは珍しいことでは?」
「ああ、滅多にねぇな。」
「何方かとお待ち合わせだとか?」
「いや、誰も待ってねぇし、来るヤツもいねぇ。」
「では…。」
僅かに身を乗り出す伯爵は、まるで大層な密事を語るように声を落とす。
「ここで何をされていたのか…を伺っても宜しいでしょうか?」
「見ての通り…。」
テーブルからグラスを取り上げ目の辺りへ翳したベルッチオが、面白そうに口角を引き上げ答えた。
「酒を呑んでた。」
それから伯爵に付き合うかに幾分声を潜める。
「実はな、今俺は隠れてる。」
「は?」
「見つからねぇように、こんな裏路地の店で潜んでるってことだ。」
「隠れて…おられる?」
声に緊張が滲む。良くない想像をしたのがありありと判った。
「別におっかねぇ相手に狙われてるとか、そんなんじゃねぇよ。」
言ってから腹の底で、ある意味おっかねぇかもしれねぇ…とベルッチオは呟いた。
 伯爵は言われた意味を判じられない。状況も理解しかねる。実に不思議そうにベルッチオを見る。ジッと見つめれば、相手の顔に書いてあるとでも言うかである。
「今日が何の日か、あんた知ってるか?」
唐突とベルッチオが投げた問いは、凡そ今までの話題と無関係としか思えない。伯爵は即答できない。考える素振りも思い出す仕草もしない。ただ何を言われたのか判らないと、更に不可思議さを強めた表情になっただけだ。
「この辺りの慣わしだから、知らなくても仕方ねぇな。」
「何かの祭事でしょうか?」
「祭…て言やぁ、そう言えなくもないがな…。」
今日は自分の思う相手に物を贈る日だとベルッチオは言った。
「最近はショコラや花が多い。だが決まりってワケじゃねぇ。何でも構わんらしい。兎に角、贈るんだ。」
「贈る…だけでなのですか?」
「人それぞれだ。一緒に深い想いを告げるヤツもいるだろうし、これまでの関係を確認する意味で贈ることもあるだろうな。」
「貴方は…何方かに…贈り物をされたのですか?」
「いや、何もしてねぇ。大体、俺は今日一日ずっとショ場を変えて隠れている身だからな。」
伯爵はまだ見えてこない話の核を様々に考える。が、この時点で並べられたヒントの関連性も読みとれない。
 ベルッチオの口元が緩む。貴人は先を読めずにいるらしい。眼差しは真剣で、だが表情は戸惑った心許なさがある。自信に満ちた不敵な笑いを張り付ける相手より、少々困惑したくらいの方が好ましい。人間くさく見える。そして近寄りがたい高貴さを子供じみた顔が可愛らしく見せる。そんな様が見たくてわざわざ遠回しに言ったわけではないが、こんなツラが拝めるなら、また別の機会にも同じ言い回しを試そう。思ってからベルッチオは気づく。この男と二人だけで会うなどあり得ない。彼は自分の立場と相手の思惑を、いっとき失念していた自身に呆れかえった。
「話の意味がわからんってツラだな。」
次などと言う馬鹿げた想像を払うよう、ベルッチオはまた会話を続ける。
「お恥ずかしい限りです。貴方の仰りたい事がわずかも判ぜられません。」
「俺のところに、山のように届くんだよ。その贈り物ってヤツがな…。」
 贈られるそれらが菓子や花なら問題はない。食い物なら下の連中にくれてやるだけだ。酒でも良い。呑んで終わりだ。後から礼を返す。それで祭の慣わしは完了する。ところがベルッチオの元へ届くのは、そんな可愛らしいものだけでないのだ。示し合わせたように女や小僧がやってくる。娼婦や男娼だ。目的は歴然としている。この機会により一層のご縁を…というヤツだ。或いは日頃のお礼。もしくは自分から進んでやってくる女も居る。一々断るのも面倒で、下手に誰か一人を招き入れたなら、やって来る総ての相手をしなければならない。だから姿を眩ます。居なければ門前払いも可能だ。一年に一度、ベルッチオがこそこそと身を隠す日が、二月の十四日と密かに決まっていた。
「そう言うわけだ。」
伯爵は愕いた顔になる。そうした贈答がある事実と、この世に恐ろしいものなど存在しないはずの男が身を隠す事態に、伯爵は大層仰天し、それから怖ず怖ずと問いを口にした。
「今まで、そうした贈答を…受けたことは…?」
「ねぇな。」
考えてもみろ…とベルッチオは言う。一つ受ければ、他の連中に角が立つ。それは少なからず諍いを呼ぶ。贈答に一切の思惑がなければ構わない。が、それぞれの下心があるなら手を出さないのが賢明なのだ。
「何方からも受け取らない。そして何方へも贈られない。」
それが貴方の決め事なのか?と伯爵は訊いた。
「そうだ。俺のやり方だ。」
「これからもそれは変わらないのでしょうか?」
「まぁ、たぶん変わらんだろうな…。」
この時、ベルッチオは面白いことを閃く。すかさずそれを口にしてみた。




つづきます

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