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戒めの記憶3

SICKSの方、これからちょっと前に書いたのを引き上げてきます。
あと、パチを有り難うございます!!!
目新しいものがなくてゴメンなさい(*_ _)人

そんで今日もちっとだけなんだけど続き〜


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 自身を観察することに満足し、人の姿と動きを見ることに一応の区切りをつけると、伯爵はそれまでになく会話を欲した。相手は一人しかいない。己の内側に在り続ける存在との語らいだ。旧式な船を手に入れ、宇宙という空間へ出てこの方、伯爵は自ら相手へ言葉をかけた試しがない。問われるから答える。話をむけられるから相づちを打つ。時に、数時間声の主の独り語りへジッと耳を傾けたこともあった。けれど自分から会話を仕掛けるなどしなかった。理由は簡単だ。それ以上に重要な事柄があったからだ。己の関心を優先した。誰かと言葉を交わすのは、もっと後だと決めていたのだ。
 重くくぐもった駆動音が漂うキャビンに、穏やかな低音が響く。張りのある声だ。語尾がゆるく震える。特徴のある声音は、もう二時間近く休む間もなく室内に流れていた。
「私は思うのだ。過去の記憶と言うものは、既に私の持ち物ではなくなったのだろうと…。」
『記憶はお前の内にある。それの持ち主はお前に他ならない。それを所有していないとは、随分と面妖なことを言う…。』
部屋の空気を揺らす音は一つだ。他にはずっと鳴りやまない機械音だけしかない。声の主はその言葉を音にはしない。だから此処に在るのは伯爵の発するそれだけだ。
「確かにそれらを体験し記憶として留めたのは嘗ての私だ。しかし其れはあくまでも過去の事実…。現在の『私』とは繋がりを持たない。」
『繋がりはあろう?繋がりなくして、それを自身の記憶とは確定できぬではないか?』
「そう…、確定できぬのだ…。」
声は非常に訝しげな色で『確定できぬ?』と鸚鵡返しに呟いた。
 自身のものとしては不確かであると伯爵は言う。人の記憶には大小の差こそあれ、脳裡へ描く映像に伴う、その者の想いが加わる。何気ない朝の風景。寝台で目覚めた者は、内側から閉ざした鎧戸の隙間より射し入る光を見る。単に朝だと確信するだけでなく、それを目にした故の想いが浮かぶ。爽やかだと感じ、知らず鎧戸を開けるかもしれない。或いは直ぐさまその日の職務を考える者もいる。朝食に意識を向ける者もあろうし、その日の夕刻に約束でもあれば、幾分心が躍る場合もある筈だ。愉しいばかりとは限らない。昨日やり残した残務に憂鬱な心持ちを抱いたりもする。珍しくもない朝の情景にも、そうした各の想いが付加され、それは過去の映像に留まらず、思い出と言う名を得るのだ。
 けれども己の持つ記憶には、そうした付加物がないと伯爵は宣う。
「それらは単なる映像。記憶というより過去の記録と呼ぶ方が正しい。過日にそれを実感した憶えのない記録は、決して私のものとは思えない。」
『成る程…。お前は数多の記録を保持しながら、自身の記憶は持ち得ないと言うのだな?』
「恐らくこの感覚を表すなら、そう表現するのが最も近いだろう。」
『ならば其れは知識として持ち続ければ良いだけのこと…。』
「知識?」
『知識に実感など必要ない。お前は過去の記録を己の知識と認識すれば得心もいこう?』
「確かに…。」
伯爵が得心とはほど遠い理解を手にした途端、声の主はそれが核心であると口調を強めた。
『不要な知識なら切り捨てれば良い。忘却とは人に赦される権利なのだ。但し、決して忘れ得ぬ記憶もあろう?』
問いの意味を即座にくみ取り、伯爵は膝に置いた両手を硬く握りしめた。
 会話は必ずしもこうした堅苦しいものとは限らない。もっと気楽な他愛のない話題を延々と続けることもある。しかしその流れの中に、まるで刷り込みを与える如く、声の主は同じ意味合いを織り交ぜる。
「忘れる筈などない…。」
背を怖気に似た冷気が駆け抜ける。伯爵は掌ばかりでなく、全身を強張らせ甦るただ一つの記憶を手繰り寄せた。果てのない虚無に内包された、煉獄の業火より更に熱い、身を焦がしても余りある、ドロリとした泥濘に似たそれは謂われのない苦痛により生まれ出た憎悪だった。
『ならば良い。其れこそがお前の起源となる。』
それを最後に声の主は気配を閉ざす。会話の途絶えた室内には、変わらずあの無機質な音だけが残った。
 与えられた肉体は未だ伯爵に馴染まない。只の入れ物、人の形をした器。ともすれば生きているのかと疑いたくなるほど、それは借り物めいている。だがしかし、繰り返し向けられる戒めにも似た言葉を受け、身の内に沸々と湧き上がる憎しみを感じるたび、伯爵はこの肉体が己と同化していく感覚を憶えた。その為に声は同じ繰り言を寄越すのだろうか。それとも、忘却など不可能と思える憎悪すら、時を経る間に掠れ、薄まっていくものなのか。独り残された室内で、伯爵はまた同じ疑問を自身へと投げる。が、既に意識から姿を消した声の主は、その答えを返してはこなかった。

つづく(よーな気がする)

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